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〜 <文明>の新しいかたちを求めて 〜 ( 佐々木寛のブログ )

オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』
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    ゼミナールで、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』を再読しています。

    このディストピア小説はあまりに有名ですが、読み返すと改めて多くの発見があります。

     

    階級、性、死、生命工学、労働、道徳、宗教、家族、科学、芸術、歴史などなど、<文明>を構成するあらゆる要素が、根底的に再検討されています。1932年発表ですから、ジョージ・オーウェルの『1984年』の16年前に書かれているにもかかわらず、むしろ今読んだ時に新しいと感じる点がたくさんあります。もちろん、あらゆるこの手の近未来小説にあるように、この90年の間に通信技術などハクスリーの予想以上の進展を見せたものもあるので、ストーリーには時代遅れに感じる部分もあります。けれども、それ以外は恐ろしいほど当時から見通されていたものがあったのだと感心します。

     

    舞台は、「9年戦争」で炭疽菌がばらまかれた後の世界。これ自体がリアリティがありますが、「平和」と「安定」を実現するために、人間の真の自由が封じられた社会です。人間の激しい感情を封じ込めるために、家族や恋愛、自然への愛好、葛藤や病苦は廃絶されています。とくにシェークスピアが代表的な禁書であることが特徴的です。階級ごとにふさわしい能力を備えるよう、工場で計画的に人間がつくられていきます。人間はもはや母親から生まれるのではなく(それは「卑猥」なこと)、瓶から生まれるので、出産ではなく、「出瓶」になります。この「すばらしい新世界」では、かつてヒッピー(対抗文化)の象徴だった麻薬とセックスは、むしろ体制を温存させるための重要な装置になっています。セックス、スポーツ、スクリーン(テレビ・映画)、そしてソーマと呼ばれる副作用のない麻薬という、いわばこの“4S”が人々のお慰(なぐさ)みとして完全供給され、人々は心から満足し、体制は永続的に安定しています。

     

    <文明>とは、清潔(殺菌)である。<文明>とは、人間の一切の「苦痛」や「不幸」を取り除くプロジェクト…。

    かつて藤田省三は、現代社会を「安楽の全体主義」と批判しましたが、そもそも<文明>が内在させている論理、その行き着く先とは、全体主義なのではないか。

     

    階級格差や明白な人種主義はあっても、人々はそれを当然のこととして受け入れ、満足しています。大切なことは「真実(リアル)」ではありません。徹頭徹尾「消費者」にすぎない大衆が、システムから与えられるのは、カストマイズされた幻影と慰みに他なりません。「みんながみんなのもの(恋愛なきセックス)」、「きょう楽しめることを明日に延ばすな」、「歴史などたわごとだ」というセリフは、「ポスト真実」と呼ばれる現代世界を、約1世紀前から予言していたかのようです。

     

    ここに登場する「野人」こそ、「すばらしい新世界」への最大の挑戦者なのですが、その救いようのない結末は、一読者として抵抗を感じながらも、受け入れざるをえません。ハクスレーもきっとそう考えたように、<文明>の論理的な帰結は、おそらくそういうことだからです。

     

    <文明>の新しいかたちを求めて。私たちは、人間の「自由」を、その陰の部分も含めて、<文明>にどう位置づけるのかについて原理的につきつめて考えることを避けて通れません。最後に野人は、「僕は不幸になる権利を要求する」と言っています。また<文明>から逃れた野人が、最後にふと歌を歌い出すことにも重要な意味があると思います。この本は依然として、汲めど尽きせぬ問題提起を発し続けています。

     

     

     

     

     

     

     

    | 佐々木寛 | - | 16:47 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    次の政権交代への準備――新潟参院選で生まれたひとつの可能性
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      前回の投稿が2018年8月ですから、なんと、1年以上、ブログの更新ができませんでした。

      年々忙しさが増す中、Facebook や Twitter で発信するのがせいぜいで、ゆっくり自宅のPCの前で、つれづれなるままに文章をつづる余裕と勤勉さがなかったわけです。この間、論文やエッセイ、インタビュー記事、講演など、本当にたくさんこなしたのですが、やった後にそれをまとめることもできませんでした。

       

      ――<文明>の新しいかたちを求めて。―― しかしこの1年間も、このテーマでいろいろと考えてきました。

       

      私が仲間と共に進めている「おらってにいがた市民エネルギー協議会」は、最近、念願の小水力発電にも挑戦しようとしています。また、「東アジア自然エネルギー共同体」構想も浮上しています。これらのテーマは私にとって最重要課題なのですが、また目途が立ったころに改めて論述したいと思います。今年一番大きかったできごとは、参議院選挙で再び「市民と野党統一候補」(打越さく良さん)の擁立を実現し、勝利できたことです。そしてさらに重要なのは、その際、市民連合@新潟がハブとなって、連合から共産党に至るまでのすべての立憲野党勢力が合意した「共通政策」をつくりあげることができたということです。

       

      東京の市民連合では、13項目に渡って5野党すべてが合意したのですが、新潟はそれよりももっと踏み込んだ詳細な内容の政策をつくることができました。下に貼り付けておきます。

       

      安倍政権は、「他に選択肢が見当たらない」という理由だけで、桂太郎内閣を抜いて憲政史上最長の政権になろうとしています。「野党がだらしない」というセリフも、もう聞き飽きるほど聞きました。ひたすら「党勢拡大」を優先させる今の野党のリーダーたちに任せておいて、政権交代のための一致協力した一大政治勢力が生み出される気もしません。

       

      「次にどんな日本にしたいのか…。」今はそれを市民レベルでしっかり考えていく時代を迎えていると思います。

      政党組織ではなく、日本中の市民から「共通政策」を構築していく。今回の新潟の共通政策は、そのほんのきっかけに寄与することができればと願っています。

       

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      真に豊かな生活をとりもどす。――新潟の輝く未来のために

       

      私は、これまでの弁護士活動を通じて、DV被害者や児童虐待の現実を目の当たりにしてきました。社会の矛盾は常に、もっとも弱い人たちに襲いかかります。虐待されながらも、親との思い出を大切に心にしまって何とか生き延びようとする子どもたちや、社会の片隅で声を出せずにいる無数の人たちを支援する中で、次第に私は、そういった社会のはざまに集中する暴力が、貧困や格差など、より大きな社会の歪みに起因することに気がつきました。

      一方で、使い切れないお金を手にした富裕層や、空前の利益を得ているグローバル企業、膨大な食品ロスや廃棄物を出しながら安さばかりを求める消費都市が存在します。「競争」や「自己責任」の掛け声だけが響き渡り、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の軽薄な気風が社会の一端を支配しつつあります。

      他方で、人口が減って希望を持てない地方や、衰退の続く農村の実情はどうでしょう。体を引きずるように働き、爪に火を灯すような生活をしても、明日が見えない人たち。学費が工面できず進学をあきらめる者。無秩序な競争の中で原価に利益を乗せることさえ許されない製造業者。後継者探しさえままならない中小企業や農家の人々。政府の「地方創生」の掛け声は、ここ新潟でも空しく響きます。

      これまで、〈中央〉や一部の権力者だけが優遇される政治があまりにも長く続き、置きざりになった〈地方〉や弱い立場の人々は、政治そのものに絶望しつつあります。私たちは本当に、〈中央〉や権力者を忖度(そんたく)し、そのおこぼれをあずかる以外に、生きる道はないのでしょうか。私はそうは思いません。私が政治を通じて実現したいのは、これまで発する声が届かなかった地域や人々が、自分の足で立ち、自信をもって生きるための新たな希望をつくりだすことです。

      人間らしい労働、貧困や暴力に脅かされない普通の暮らし、おだやかに安心して過ごすことのできる老後、そして子どもたちが笑っていられる未来。そんな誰もが望む「真に豊かな生活」をとりもどさなければなりません。

      また新潟は、世界最大級の原発を抱え、長らく賛成派と反対派の分断を余儀なくされてきました。原発を巡るリスクと対立だけが新潟に残り、つくり出された恩恵を首都圏が消費するという根本的な矛盾に苛(さいな)まれてきました。福島の原発事故を経て県民の大多数が原発ゼロを求めている今、新エネルギーの可能性を大きく活かすことで両者の対立に終止符を打ち、共に笑い合える未来をつくる。私は、ここ新潟からそれを実現したいと考えています。さらに新潟は、どこよりも“独立自尊”の伝統を湛(たた)えた地域です。今から約100年前、理不尽と不平等に立ち上がった新潟の小作農の精神を若いころ書籍で知りました。それは私が実現したいと思う政治の道しるべです。私、うち越さくらは、ここ新潟に骨を埋(うず)め、政治に新しい希望をもたらすことで、その先人たちの列に加わってまいります。

      以下、「真に豊かな生活をとりもどす」ための具体的な方策です。

       

       

      |ひとり、取り残さない。――格差と差別のない社会へ

       

      • 子どもの貧困や教育格差をなくすために、子育て施策の充実や保育士の待遇改善、高校授業料の完全無償化学力が伴わなくても親に頼れない子どもが利用できる給付型奨学金制度の確立、就学援助の充実や給食の無償化など、次世代に投資する政策を大胆に進めます。
      • 若者が希望の持てる将来像を描けるよう、目標を据えて確実に最低賃金を引上げていくなど、景気対策の柱となる実質賃金の向上を実現します。また、同一価値労働同一賃金の趣旨にのっとり、非正規労働者等に対する差別的待遇の転換を目指します。
      • 子育て世帯や若者が希望を持って安心して生活できるよう公的住宅費補助制度の充実や、若い夫婦などに特化した公営住宅の整備等を通じて、人口減少や少子化の是正を図ります。
      • 女性が真に活躍できる社会を実現するため選択的夫婦別姓を実現し、男女における賃金格差を解消すると共に、性暴力の禁止と被害者支援に向けた法整備を行います。
      • 共に支え合う社会」を目指し、多様性を認める観点からLGBTに対するものをはじめ、すべての差別と社会の分断を許しません。さらに身体や心に障がいをもつ方々や日本で暮らす外国人に対して教育の機会や雇用、生活の安心を保障する枠組みを整備します。
      • あらゆる差別を禁止する法令や、手話言語法など社会の多様性を守るための法整備をすすめると共に、ヘイトスピーチ対策への取り組みを強化します。
      • 待機児童を解消し、病児保育、休日保育の充実などすべての子どもたちに保育・教育の機会を保障します。また、重労働に見合わぬ低賃金といわれる保育士等の処遇改善も同時に進めます
      • 虐待から子どもを守るために、公費による子どもの代理人制度を実現し、児童精神科医や児童心理の専門家を増員します。子どものオンブズマン制度を実現し、権利救済の仕組みを作ります。
      • 虐待やDVを繰り返さないための公的な「再発防止(加害者更生)プログラム」などの法整備を進めます。
      • 社会全体ですべての子どもの育ちを支援し、子どもの貧困、特に親から引き継がれる貧困の連鎖を断ち切ります。フードバンクや子ども食堂といった地域の取り組みに着目した子ども貧困対策推進法の拡充を目指し、その運用に貧困改善に向けた数値目標を設定します。

       

      地域経済を躍進させる。――持続可能で活力ある新潟へ

       

      • 近年、農村地域から人が減り、離農も続き、否応なく農地の集約化と大規模化が行われていますが、同時に耕作の放棄も増加しています。そんな中で進行するTPP11や日欧EPAなど過度な規制緩和・市場化推進の動きに反対します。
      • 農地が有する防災機能等を維持し、担い手の大部分となる兼業農家の経営を安定させるなど、わが国農業の基礎を支える政策である「農業者戸別所得補償制度」の復活を目指します。さらに地域特性にあった多様な農業の展開にむけた支援、多面的機能に着目した直接払いなどを通じて、やる気ある農業者を育成します。
      • 国土・自然環境の保全、技術や文化を継承していくためには綿々と続いてきた伝統的な農山漁村集落の維持発展が不可欠です。巨大消費地である東京や対岸の東アジア諸国と産地である新潟県の交流を促進することとにより、農山漁村のコミュニティを維持し特色ある生産を実現します。
      • 「種子」を守っていくことは、我が国の食料主権と消費者の安心安全及び国民共有の財産を守ることです。2018年に政府が廃止した「主要農産物種子法」の復活を目指します。
      • 急進的な農協改革に反対し、地域と生産者をつなぐ協同組合としてのJAグループの存在意義を十分踏まえ、社会的な役割に応じた支援を行っていきます。
      • 森林環境税の新設に合わせ、林道、作道の整備や木材産業との連携強化など林業分野に対する集中的施策の展開によって新潟の山を守り、林業従事者の確保と所得の向上を図ります。
      • 地域住民が、里山林の保全管理に関わり、森林・山村を観光資源として活用しつつ環境教育・体験活動の場とし、消費地である都市との交流を進める体制を整備します。
      • 水産業関係者自らが考え合意する「浜の活力再生プラン」の策定と実行を支援し、資源管理、生産基盤整備、流通・加工対策、魚価対策など水産業の課題に対応します。都市と漁村の交流を促し、活力ある集落を新潟各地に創出すると共に、漁業協同組合の機能強化を促進します。
      • 太陽光・小水力・風力発電、さらには新規ESCO事業や新世代地域熱供給事業など、新潟の潜在力を活かした再生可能エネルギー事業の複合的展開によって、新潟に多くの雇用を生み出します。
      • 産業分野の付加価値向上や産学連携、イノベーションの導入や起業支援など、本県経済の発展に欠かせない施策に対する国の関与を高めます。地域中小企業の人材確保のため、学生や若者を対象とした公的な住宅費補助制度の実現を目指します。
      • 生活道路や用排水路、中小河川といった生活に欠かせない公共財の日常的な補修や修繕事業を中心とした公共事業を、地域中小企業をパートナーとしてすすめ、地元建設業の経営安定と活性化を図ります。
      • 本年10月に予定されている消費税の引き上げに反対し、5%ポイント還元といった金持ち優遇で場当たり的な対策の撤回を目指します。さらに所得税の累進課税や給付付き税額控除の導入など総合的に税制を見直すことで、税の不公平感を解消し、社会福祉のための財源確保を図ります。

       

      K楜い“原発ゼロ”に向き合う。―再生可能エネルギーによる新しい社会像へ

       

      • 国による原発政策が全く見えません。将来的に原発を続けるのか、廃止するかの議論すらされていません。原発ゼロはスローガンではなくリアリズムです。国における議論を通じて原発がなくとも日本経済が立ち行く未来を示します。
      • 原発ゼロに向け、再生可能エネルギーや省エネ技術の開発を進め、立地地域対策や使用済み核燃料の処分問題を含めた具体的な行程づくりを行います。
      • 農山漁村や山林をはじめとして、新潟には再生可能エネルギーの生産に好適な条件が多くあります。第一次産業と再生可能エネルギーの融合によって、エネルギーの地産地消、さらには地域でお金が回る「地域分散型ネットワーク社会」の実現を目指します。
      • 新潟県が進める「三つの検証」に基づき、安全で具体的な避難計画の策定支援や、迅速な被災者支援の法制化など国による関与が欠かせない分野を明らかにし、実行します。
      • 柏崎刈羽原発の再稼働は認められる現状にありません。耐用年数を過ぎた古い原子炉の廃炉計画の策定と先進的な技術の蓄積によって立地地域を再生させ、県経済を活性化させます。

       

      な襪蕕靴琉多粥Π汰瓦魍諒櫃垢襦――セーフティ・ネット社会へ

       

      • 独居の高齢者やひとり親世帯など経済的、社会的に孤立している人に対する生活支援を拡充し、社会的な見守りのネットワークを拡充します。
      • 医師、看護師らの地域偏在や診療科の偏在を解消し、国民健康保険料や医療費自己負担を抑制します。さらに医療・介護の現場で働く人々の処遇を改善することで、高齢者だけでなくあらゆる世代のセーフティ・ネットを強化します。
      • 老後の安心の根幹である公的年金を持続可能なものとし、公正、平等で国民に信頼される制度につくり替えていきます。
      • 予防医療の充実などにより健康寿命を延ばし、高齢者や子どもの居場所づくりやサークルや娯楽の提供等を通じて生きがいのある社会をつくります。
      • 長時間労働を規制し、過労死ゼロを目指します。誰もが「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」が可能な社会を実現し、望めば正社員になることのできる社会を目指します。
      • 忖度発言の基となる、公共事業の選定過程を透明化し、社会資本の円滑な維持管理・更新を進めます。災害の未然防止といったハード対策と合わせて、地域のコミュニティを活かした防災力の強化を支援します
      • 住民参加の下、コミュニティに欠かせない、きめの細かい地域公共交通を実現することにより、便利で安全な暮らしを実現します。
      • 悪質な詐欺的行為から生活者を守るため、消費生活センターなど行政機関の機能強化と消費者保護に資する法体系整備に取り組みます。
      • 国民の正しい政治判断の前提条件となる、嘘のない統計を目指します。森友学園・加計学園の疑惑などの徹底的な真相究明を行い、国家権力のメディアへの介入・規制に反対します。

       

      イ錣国の外交と防衛の未来像をしめす。――新時代の平和政策へ

       

      • 立憲主義に反する安保法の廃止を目指し、同法を前提とした現政権による憲法改定に反対し、平和主義を回復させます
      • 我が国周辺の安全保障環境を直視し、専守防衛に徹した自衛力を着実に整備します。沖縄の民意を尊重し、辺野古の米軍新基地建設の強行には強く反対します。不平等極まる日米地位協定を見直し日米関係の再構築を目指します。
      • 東アジアにおける平和と非核化の推進のために外交努力を尽くし、北朝鮮に対する経済制裁に加え、拉致事件解決に向けた対話の再開を目指します。
      • 防衛、治安に資すると称して現政権が成立させた特定秘密保護法、共謀罪法などは国民の知る権利や内心の自由等の人権を脅かしており、早期の廃止を目指します。
      • 非核三原則をこれからも堅持し、核兵器禁止条約の批准を目指します。国際協調主義に基づく人道支援等を-通じて世界各国との人的交流を拡充し、国民各層の相互理解を深めます。

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      | 佐々木寛 | - | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      「文明」の終着駅
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         先日故あって、大阪駅で長い時間を潰すことになったのですが、ものすごいコテコテの、究極の最新巨大駅ビルで過ごしているうちに、何故だかだんだんと息苦しくなって、しまいには怒りすらこみ上げてきたという経験をしました。営業妨害になってしまうのであまり言えませんが、そこはまるで、「あなたの〈生〉にとって必要なものは全てここにあります」と言わんばかりの空間設計。実際に何でもあります。店舗内に何個もカフェを内包する、迷うほど大きい売り場の某書店では、しかしながら、本や知識に対する愛着は微塵も感じられず、ただ商品としてライトアップされただけの「本」がインテリアとして並べられていただけでした。その店に満ち溢れるのは、「本はインテリアであり、消費物以上の何ものではない」、というメッセージです。本当に本を読めば、実際はそんな空間を根底から批判し、破壊したくなるはずなのに…。けれども本たちは、悲しくもその無知で乱暴な分類の陳列棚に行儀よく収まって、まるで近未来のアウシュヴィッツのようでした。

         

         この商品文化の海に溺れながら、本当に誰もが満足し、満ち足りた〈生〉を営んでいると思っているのか…。この楽しそうに歩いている(あるいは自分が楽しいと思い込もうと必死にそれを演じている)人々は、本当にこれを善きものとして肯定しているのか…。大阪駅は、「文明の終着駅」を直観できる場所かもしれません。そこにはすべてがあって、すべてが哀しい。親切なことに、屋上に「空中農園」まで用意されているこの空間で、果たして人類史は終点を迎えてしまうのか、それとも「人間」とはそれ以上の何ものなのか、そんな大げさなことも考えさせられました。

         

        | 佐々木寛 | - | 14:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        県知事選挙が終わって−−「市民と野党の共闘」ついて。
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          前の投稿がクリスマスイブですから、あれから半年以上が経ってしまいました。

          4月からまた学部長になり、講演依頼もどんどん増えただけでなく、思いがけない選挙がありました。

           

          2016年の参院選、県知事選、2017年の衆院選と、新潟県では市民と野党の共闘が「3連勝」だったのですが、今年の県知事選には惜敗しました。たとえ1票差であっても、選挙は勝たなければなりません。今回の敗北は、もし勝っていれば、安倍政権の存続を防いだでしょうし、政府の原発推進にもストップをかけられたと思うので、本当にこの国のゆくえを暗くしてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。

           

          しかしその一方で、敗北からは多くの「学び」がありました。これは勝ったときの比ではありません。

          その一つ一つは、追々お伝えできると思いますが、今日は最大の「学び」についてです。

           

          市民と野党の共闘が上手く行く条件について。ひとりの政治学者として、自分の経験から、あえて誰にも遠慮せずに率直に結論を言えば、「政党や政治家主導では、市民と野党の共闘が成功することはきわめて難しい」、ということです。それは、今回の選挙で特定の誰彼がどうこうというのではなく、既存の政党や政治家が本来持っている、ある<限界>についての問題に他なりません。政党組織や政治家は、良かれ悪しかれ「権力の最大化」という、何よりも優先する行動原理があります。そういったアクターが繰り広げる権力ゲームの中では、時に相矛盾する利益関係にあるアクター同士の広範な共闘関係の構築は概して困難となります。そしてまた何よりも、この既存の政治権力ゲームが支配的になれば、一般市民の「参加」の程度はますます限定されてしまうという問題が生じることになります。

           

          これまで新潟において「市民と野党の共闘」が成功してきた背景には、他の地域と異なる一つの条件、つまり、市民勢力が候補者選定の段階から、終始選挙体制構築のイニシアチブをとってきた、という事実があるのではないか。まさにバッファーとしての「市民」が、相異なる野党同士を接着させてきたという事実にこそ、「野党共闘」の秘密があったのではないか、ということです。

           

          残念ながら、さまざまな事情から、今回の県知事選挙では、市民勢力は政党政治の従属変数になってしまっていたように思います。私も恥ずかしながら、それが市民政治の「進化」だと思っていました。いつまでもアマチュアが出張るのではなく、政治のプロが、プロの本来の仕事を始めて、それをアマチュア(市民)がバックアップする形で良いのではないか、それが政治本来のあり方なのかもしれない、とさえ思っていました。しかし、それは「進化」ではなく、歴史の針を逆に戻すことだったのかもしれません。

           

          いろいろと思うことあって、今月、「市民政治塾」を立ち上げることにしました。

          詳細はまたお伝えできると思います。

           

           

           

           

           

          | 佐々木寛 | - | 01:32 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
          クリスマスイブに。
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            またしても、本当に久しぶりの投稿です。

            本来は、進展する市民エネルギー事業のこと(特にデンマーク訪問について)、新潟県政のこと(何よりも検証委員会のこと)など、書かなければならない多くのことがあったのですが、スキップしてしまいました。ひとこと、公私とも「忙しかった」わけです。

             

            今日は文字通りの完璧な「休日」。こんな日が以前いつあったのか思い出せません。ぜいたくにも、お昼まで布団から起き上がらず、本当に久しぶりに「寝切った」気分で、シャワーを浴び、買い物に出かけました。街は年の瀬のクリスマス気分。カップルや家族連れが目につきます。

             

            私も一応50歳を過ぎ、半世紀以上生きたことになるので、いろいろと今になってわかることがあります。

            子どものころ、まじめだけが取柄の私の両親は、クリスマスになると貧しいながらもおもちゃのようなクリスマスツリーを部屋に飾り、ケーキを買ってきたものでした。貧しいので、友だちに比べると貧相なプレゼントでしたが、朝目を覚ますと枕元に必ずプレゼントがありました。2DKの団地に5人の家族が住んでいたので何かと手狭なのですが、幸せでした。

             

            「小市民」を絵にかいたような私の両親は、子どもを近くのキリスト教系の幼稚園に通わせ、クリスチャンでもないのに夜にお祈りをさせてから寝かしていました。クリスマスも、クリスチャンでもないのに、たいそう頑張って盛り上げていたのだと思います。おかげで、私もクリスチャンでもないのに、クリスマスの季節になると今でも胸が締め付けられるような甘酸っぱい思いになります。

             

            年の瀬の、クリスマスの街は、小市民たちの祭典です。今夜は暖かい部屋で、愛する家族や恋人、友人たちと温かい料理を囲んで過ごす人たちがたくさんいるのでしょう。でも、いつも思うのですが、それ以外の人たちは今日をどんな思いで夜を過ごすのでしょう。今、東京で一人暮らしをする私の息子も、今夜はきっとアルバイトで夜を明かすか、一人狭い部屋でいつものように質素に過ごすのでしょう。今や日本人の約半分が単身世帯ですから、「典型的な」クリスマスの夜は、もう半分の人間にはまったく関係ないことなのかもしれません。先日の新聞で見たように、シングルマザーで「クリスマスなんか来ないほうが良い」と思っている人もたくさんいるでしょう。あるいはそれ以前に、風をしのぐ家もなくて、毎日とても不安で寒い思いの人も少なくないでしょう。

             

            それにしても思うのは、何はともあれ私たちは、この70年以上、戦争に巻き込まれてこなかった、という事実です。私も含め、小市民たちが平和に生きてこられた。沖縄やアジアの人々に矛盾を押し付けたり、原発が爆発したり、猟奇的な犯罪が多くあったり、政治が腐敗したり、貧富の格差が拡大したりしても、ともかく、戦争はなかった。これは「戦後」を支えてきた先人たちに深く感謝するべきことかと思います。1966年生まれ団地育ちの私は、生まれも育ちも文字通りの小市民で、今でも小市民の味方です。クリスマスイブに家族のためにケンタッキーフライドチキンやケーキやプレゼントを買って帰る。この「特別な日」に街を歩く幸せそうな人たちを見て、こちらも特別な温かい気持ちになります。また、自分でも笑ってしまいますが、まるでウルトラ警備隊のように、この人々の小さな幸せをずっと守らなければならない!、などと思ったりもします。

             

            けれども、クリスマスイブの夜は、どうしても別の記憶や気持ちも沸き起こってきます。

            そういえば、もう早くに逝ってしまいましたが、子どものころキリスト教系の児童養護施設で育った私の友人は、毎年クリスマスになるとたくさんのプレセントをもって施設を訪れていました。本当にクリスチャンだったかわかりませんが、いつもは一人で寂しそうなのに、毎年この季節になると「メリークリスマス!」と嬉しそうに電話がかかってきました。また、寒い夜の街かどで一人、クリスマスイブの家々の灯を外から眺めていた、いつだったか、たしか若き新聞配達時代の記憶も蘇ります。

             

            今年は、一番戦争に近いクリスマスだと思います。社会がますます非人間化し、「戦争になってしまえばよい」という憎悪のつぶやきすらもきこえてきます。でも、戦争だけはいけません。それは、小市民の醜悪さや矛盾を一夜のうちに解消できるかもしれませんが、無数の死や破壊のほかには何も生み出さないでしょう。私はどんなにフェイク(偽物)でも、この戦後の「平和」を擁護したいと思います。

             

            来年は、<戦争や核を非合法化する>という、無数の犠牲の上に宣託された人類のまっとうな方向感覚を、いかに支え、強化できるのかが最大の課題になると思います。戦争に対しては、依然として全市民が「NO」と言えるだけの良心と理性はまだ残っていると信じています。どんなに堕落した平和でも、戦争よりはマシ。しかし、戦争を起こさないためには、平和を常に堕落から救い出す努力も必要です。

             

            幸い今年のクリスマスイブは、雨雪が降らず、めずらしく穏やかな夜です。

            クリスチャンではないのですが、すべての人に神の祝福があることを、心から祈ります。

             

            | 佐々木寛 | - | 16:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            「学び」を回復する
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               日本中の大学が危機です。それはまず財政や定員充足といった、目に見えやすいものとして取りざたされますが、それよりももっと根源的な危機に大学は陥っていると思います。現在の大学の最大の危機は、大学が、行政や資本の下請けとなり果て、もはや新しい時代や社会を創り出す場ではなくなりつつあるということにあります。大学はもはや、大学である必要がなくなりつつあります。

               

               この根源的な危機に対してなすべきことは何でしょうか。私は確信しています。

               今、大学において必要なのは、他でもなく、「学びを回復する」ということです。

               

               それは何か(就職など)への準備などではなく、また、資格を取るといった有形の報奨などではなく、人間として永遠に続く「学び」そものものの回復、「学び」そのものの学びに他なりません。学びの永遠の喜びと可能性を学ぶ場所として、現在の大学はまったくの機能不全に陥っています。

               

               たとえば学生にとって必要なのは、学びの時間をゆっくり自ら味わうためのゆとりの時間なのです。必ず半期15回講義をすべし、学習時間を確保すべし、それによって学生の学力が向上するのだと考える、まさに思考力の欠如した文部科学省の方針はこの国の知的衰退の表れでもあります。またそれに唯々諾々と従う大学は、知の殿堂としてはもはや死に至る病におかされていると言わざるをえません。

               

               教育学者も、政治学者も、そしてすべての大学人も、今、この大学の惨状について声を挙げなければ、知の全体主義化を押しとどめることはできないでしょう。少しずつ慣らされ、少しずつ無力化されるという意味では、私たち大学人もまた、いわば21世紀の強制収容所の住人なのです。

              | 佐々木寛 | - | 11:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              新潟県の原発事故に関する検証委員会
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                 昨年誕生した米山県政の公約でもっとも重要だった、「原発事故に関する検証委員会」のメンバーの一部が昨日公表されました。原発立地自治体とはいえ、一地方自治体が自前の予算で、これほど包括的に検証を行う例は日本で初めてではないかと思います。3・11後、政府事故調や民間事故調などによる大規模な検証がなされましたが、その後、この種の包括的な検証はなされていません。

                 

                 私は「平和」の条件を学問領域を横断する視点から考える「平和研究」の可能性を追求してきましたが、同じように、原発という複合的な問題領域を横断的に検証するこの検証委員会の試みが、かねてより歴史的にも学問的にもきわめて重要であると考えてきました。最大のメガテクノロジーのひとつである原発について、研究者や市民が時間をかけて徹底的に熟議を行うという意味で、ここでなされる試み自体が、単に一県知事の公約であることを超えて、さらにはるかに普遍的な意味をもっていると思っています。

                 

                 公約にあったように、これまでの「技術委員会」に加え、「健康・生活委員愛」、「避難委員会」、さらにはこれらを総括する「総括委員会」が設置されます。昨日は、「健康・生活」と「避難」の2委員会の委員の公表でした。私の名前も「避難委員会」に掲載されました。以前よりこの検証委員会の歴史的意義について知事にもお話し申し上げていたのですが、それもあってか、県より就任の打診を受け、快く引き受けました。

                 

                 まず、ここに参加するすべての委員や関係者が、この試みの歴史的意義について理解することが大切だと思います。そして、その意義が、何も原発の再稼働について、その賛否の結論を出すということよりもむしろ、まさにその議論のプロセスにあるということも理解されなければなりません。議論はあらゆる素朴な疑問や観点を排除してはなりません。なるべく多くの分野の専門家、加えて生活者や市民の視点を取り入れなければなりません。そこでできるだけ多くの争点を出し、「熟議」することがこの委員会の使命だと思います。委員会は原則公開し、議論された内容は、わかりやすく市民に伝えられ、市民間の学習や熟議の材料となる。それが理想だと思います。

                 

                 ほとんどはそうではありませんでしたが、一部の新聞では、私が知事選で知事を応援した主要メンバーであったがゆえに、「中立性」に疑義があるかのような記事をみかけました。それは残念ながら、全ての現象をわかりやすい右・左、白・黒の二元論で描こうとしてリアルな現実の把握に失敗してしまうという、まさに「アウト・オブ・コンテクスト」の一例だといえます。今、原発への評価について、いろいろな考えがある事は当たり前で、それを前提として、再度一から検証してみましょう、ということなので、熟議の始まる前からまるで結論が決まってしまうかのような考えをもつとすれば、それはもはや検証や熟議そのものの可能性を初めから否定することになってしまいます。

                 

                また、「知事に近い人物がいると中立性が保てない」(ある県議)という意見は、論理的には、この委員会を立ち上げ、検証をふまえて最終的に判断する知事自体がそもそも中立的でないという前提となります。これはおかしな議論です。イデオロギーや党派などだけで物事を考えると、この検証委員会の本当の価値が台無しになってしまいます。

                 

                 原発への「評価」の前に、科学的な論理の積み上げがあります。またそれ以上に、そこに多様な「議論」がある。それが民主主義社会において最も重要な事なのです。

                 

                 この試みは「成功」するかしないのか、わかりません。今後の私たちの努力次第でしょう。けれども、もし「成功」するのだとすれば、それはこの試みに関わるすべての関係者が、こういった基本的な内容を十分理解し、合意することが前提にあると思います。

                 

                <民主主義>が再び、試されているのだと思います。

                 

                 

                 

                 

                | 佐々木寛 | - | 17:45 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
                希望の政治学読本 
                0

                  『日刊ゲンダイ』の書評連載「希望の政治学読本」は、この12回目で最終回でした。当初予定されていた連載期間を大幅に超えました。この時はまだ知事選の結果が出る前でした。連載中はまさに選挙のど真ん中で、今思い起こすと自分でもよく書けたな、と思います。選んだ本はいずれもこのブログのテーマ、<文明>論に関わるものばかりです。

                   

                  なお、連載の内容は、日刊ゲンダイのHPでも見られます。

                  https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/2694?page=1

                   

                   

                  上村雄彦『世界の富を再分配する30の方法』(合同出版) 1,400

                   

                  「グローバル・タックス」の可能性

                   

                   新潟の激しい知事選が終わり(この原稿を書いている段階でまだ勝敗は全く予測できないのだが)、選挙戦の過程であらためて気がついたことは、日本の国家権力の真の姿であった。自民党の二階幹事長が経団連幹部との懇談で、「何とかして、(自民、公明推薦候補の)勝利を考えていきたいと思いますが、どうか電力業界など、オール日本でやっぱり対抗していかないといけない」と語ったように、「オール日本」というのは、官邸や与党とならんで経団連や電力業界のことを意味するらしい。私たちはその二階さんの言う「オール日本」と闘ったわけだが、それはつまり、今回の知事選では、私たち新潟の市民がその「日本」に入っているのかいないのかが問われたということになる。

                   もう誰もが知っていることだが、現代世界の権力は、グローバル資本主義に根差している。簡単に言えば、富をもてる1%が残りの99%を支配する世界だ。もういいかげん世界全体を公正にしない限り、次々と噴出する問題を解決できなくなっている。しかもそれを暴力革命によって実現することもできない。残る方法はひとつだ。グローバルな制度を漸進的に変えてゆくしかない。

                   本書が提起する「グローバル・タックス」(地球レベルの徴税制度)は、そのもっとも有力な方法のひとつである。化け物のような金融取引や悪魔のような兵器取引に税金をかけて、その集めた資金をエイズ対策や貧富の格差の是正、地球温暖化対策などに使う。いたって合理的である。ただ問題は、このような事実上の「世界政府」の機能をどうやって実現するのかということである。本書は、それを「絵に描いた餅」にしないために、きわめて具体的な方法を提示する。しかも「中学3年生くらいから理解できること」をめざして。

                   本書の編著者は、長年に渡り、単に研究者としてだけではなく、活動家としてもこの問題一筋に取り組んできた。小著であるが、内容は豊穣である。

                  | 佐々木寛 | - | 01:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  希望の政治学読本 
                  0

                     

                    ジャレド・ダイアモンド『第三のチンパンジー』(草思社) 1,800

                     

                    人間の未来を考えるために

                     

                     先日、久しぶりにスタンリー・キューブリック監督の『二〇〇一年宇宙の旅』を観た。今から半世紀近く前の作品であるにもかかわらず、今観ても鮮烈な印象を与える傑作である。まだ言葉すらもたないサルが空中に投げる一本の骨が、一瞬で真空に浮かぶ宇宙船に変わるシーンは有名である。キューブリックの作品はいつも、「人間とは何か」を問うている。しかも、常にどこまでも冷徹なまなざしで。

                     本書もまた、「人間とは何か」を問う。そしてキューブリック同様、はじめから人間に特権を与えたりはしない。もちろん人間は、言語や道具を操り、農業や芸術を生み出した。しかし、しょせん人間は「第三のチンパンジー」にすぎず、他の動物と共に生物的進化の長い旅路を歩む生命の一部であった。ただ、人間は特別な動物でもある。しかもそれほどは誇るべくもない意味において。

                     まず、「みずからの種やほかの種を絶滅に追いやる能力」をもつようになった。「ジェノサイド」は歴史上、人間の習性であった。また、必ずしも生殖とは結びつかない「風変わりな性行動」を示し、体に悪い薬物を乱用し続けてきた。本書は、これら「不都合な真実」がなぜ誕生したのかを、生理学、進化生物学、生物地理学、言語学、人類学等々、多くの学問分野を越境し、明らかにしようとする。本書の魅力は、その豊富な知識に基づく壮大なストーリー展開であるが、人間の解明という包括的な課題には、そもそもこのような横断的知性が不可欠である。

                     さて、自らを滅ぼす可能性がある私たち人間は、今後どうすればいいのだろうか。まず、自分たちがつくりあげてきた「文明」そのものを再度冷徹に見つめ直すことから始めなければならない。本書は、このように、「過去を理解し、将来の手引きとする」ために書かれた。つまり、人間の希望は、いわばこの歴史的な反省能力にある。

                    | 佐々木寛 | - | 01:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                    希望の政治学読本 
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                      ツヴェタン・トドロフ『民主主義の内なる敵』(みすず書房) 4,500

                       

                       

                      「民主主義」をあきらめないために

                       

                       私たちは今、本当に民主主義的な社会に住んでいるのだろうか?本書は、24歳まで「全体主義」のブルガリアで過ごし、そこを逃れて残りの三分の二の人生を「自由の国」フランスで生きた思想家の手によるものである。人間の幸福にとって「自由」や「民主主義」がいかに重要であるか、著者自身が身をもって知っている。しかし、「全体主義」に勝利し、この地上でいわば無敵の教義となった「民主主義」は、今本当に私たちを幸福にしているのか。著者の問いかけは根源的である。

                       確かに選挙や複数政党制など、制度としての「民主主義」は地球大に広がった。しかし、その「民主主義の衣装」をまとった社会の中身は、著者が「政治的なメシア信仰」、「個人の専横」、「新自由主義」と呼ぶような重い病に冒されている。そして何よりも深刻なのは、その病が私たちの体制の外側からではなく、今度はまさに私たち自身から生み出されているという事実である。「自由のある種の使用法は民主主義にとって危険である」。そしてまた、「民主主義は自分自身のうちに民主主義を脅かす諸力を分泌する」のである。

                       いわば、慎みを忘れた私たちの「自由」、「ピュブリス(傲慢)」こそが「民主主義の内なる敵」となっている。著者が何度も言及する福島の原発事故もまた、社会的責任よりもすべてにおいて個人的な利益を優先する「新自由主義」の結末であった。

                       それではどうすればいいのか。今度の敵は私たち自身である。まずは「民主主義」をあきらめないこと。本書が示唆するように、「民主主義の現実をその理想により近づけること」は可能である。世界と人間の不完全性を引き受けながら、「それでもなお」工夫を凝らし、他者と共に可能な限り非人間化した社会を変革していくことは可能である。

                       本書は、現代における「民主主義」の病理に深く迫る。しかしそのことによって逆に、現代における「民主主義の生命力」を回復する手立ても指し示している。

                      | 佐々木寛 | - | 01:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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