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〜 <文明>の新しいかたちを求めて 〜 ( 佐々木寛のブログ )

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自分の生命(いのち)を生きるということについて
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    また前回より2か月以上経ってしまいました。

    時間が経つのは早いのですが、きっと人生そのものもあっという間に終わるのでしょう。

     

    昨年の知事選、「新潟の奇跡」について、なぜそんなことが起きたのか、選挙後に良く訊かれるようになりました。

    社会科学者として、あるいは当事者の一人としてその都度誠実に答えようと努めてきましたが、現段階では、精確にはすべての理由を理解することはできない、というのが結論です。つまり、「偶然」の要素も大きかった。

     

    そして、最近はこの「偶然」がもたらす力について、良く考えるようにもなりました。思い返せば、当初の自分が思い描いた通りに、あるいはそれ以上に事態が進展していったのですが、要所要所で「神の手」ともいえるような偶然の助けが舞い込んできたと思います。岩盤のように強固だと思われた「構造」に、思いのほか簡単に隙間やひび割れを見出すことができ、乗り越えることができたという経験は、何か大きな波に乗って波乗りをしているようでもあり、また個々の小さな決断が次々と大きな力に変換されるという不思議なものでした。

     

    社会科学では、社会制度が持っている惰性や構造的な制約性が強調されます。つまり通常、個々人がもつ力はそれほど大きく評価されません。しかし、社会の「構造」は、実は個々人の日々の決断や行為の集積によって成り立っており、日々つくられる構成物でもあります。そしてまた、岩のような実体だと思われている「構造」も、実際は社会を構成する人々のその時のいわば「共同幻想」にすぎないという場合もあります。もし国家や権力や制度が「共同幻想」にすぎないとすれば、それが「幻想」であると分かったとたん、ガラガラと崩壊する可能性もあります。もちろん、そんなことはめったにないのですが、たとえばヨーロッパで冷戦が終焉し、ベルリンの壁が崩壊した時、あるいは「3・11」後に原発の「安全神話」が崩壊した時のように、多くの人々がほとんど疑わなかった建前や信念も、一夜にして無価値になってしまうという事も起こりえます。また、そういう既存制度の脆弱性は、近年ますます増大しているようにも見えます。

     

    文学的な表現ですが、歴史は明らかに「加速」しています。そして今日の決断が、ますます翌日の歴史の進路を決定するようになりました。私たちが今日の決断の結果生まれた明日を生きるようになる度合いも増しているように思えます。この場合、歴史とは、ある時、誰かが、何かをしなければ、次の出来事は生まれえなかったという、無限の可能性に満ちた微細な選択の連続体として見えるようになります。そしてその場合、限られた資料に基づく歴史学が明らかにできるのは、常にその無限の「偶然」の連鎖の、ほんのごく一部分でしかなくなるでしょう。

     

    しかし不思議な事に、多くの人々は、今自分を拘束している決まりきった「構造」からはけっして逃れることはできないと信じており、無力感にさいなまれています。そして日々忙しく、均質的な「他人」の視線の中で、猜疑心と嫉妬に身もだえしながら生きることを強いられています。国家や民族や国境という「共同幻想」が21世紀の現在でも不思議と力をもつ背景には、均質化し、やせ細った「生」とその根源的な不安定化が透けて見えます。不安におののく均質的な「生」は、他者への不寛容を生み出します。本当は世界を変えられる機会と能力を持ちながら、逆に与えられた「幻想」や「神話」の中に自らを拘束し、自分の「生」に対する根源的な誇りと信頼を見いだせずにいます。

     

    古生物学者に訊くまでもなく、自分の生命(いのち)は、数千万年、数十億年の宇宙の歴史のほんの一瞬の奇跡です。ひとつ間違えば存在すらしていなかったガラス細工のようなものです。私たちの生命(いのち)は地球がちょっとバランスを失うだけで簡単に潰えてしまうほど、か弱いものです。それを壊すのは本当に簡単なことです。今では核のボタンを一つ押すだけで「人類」はその歴史の幕をすぐに閉じてしまうでしょう。生命(いのち)は、宇宙全体の繊細な多様性によって相互に繋がれています。多様性の消失は生命(いのち)そのものの消失です。つまり、自分の生命(いのち)は、この宇宙でただ一つ、唯一無二だからこそ、価値があるのだと言えます。それゆえ、単一の物差しで自他の生命(いのち)を計ろうとすれば、それ自体が生命(いのち)の論理の否定となるでしょう。

     

    現代人は、自分の生命(いのち)の価値について、忘却を強いられています。それがあらゆる現代的病理の根源となっています。地球や自然、宇宙につながる生命(いのち)の論理を、自らの生活と人生に回復すること。十分な休息の中で、深呼吸をし、古代の先祖や地球と対話する内省の時間を確保し、まさに「自分の時間」を生きる心の習慣を得ること。何よりも自らの生命(いのち)の真の価値に気づき、生命(いのち)を均質化しようとする無数の雑音と謀略に惑わされない本当の自立性を獲得すること。

     

    このように個々人が真に自分の生命(いのち)を生きるということによって、他者と共に生きる知恵が生まれるでしょう。目先の利益や消費の絶対量が人生の幸福を決める、あるいは他者との競争に勝利し、他者を支配することが幸福である、といったような「神話」や「幻想」からできるだけ多くの人々が解放されることが、真の社会変革の第一歩となります。

     

    今回は少々回りくどくて抽象的な文章となりましたが、来るべき新たな民主社会を創りだすためには、あるいは、今後も多くの「奇跡」を生み出すためには、今こういった根本の所がおそらくもっとも重要なことであると思ったので書きとめておくことにします。

     

     

    | 佐々木寛 | - | 02:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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