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「安全」の民主化

 「3・11」以後、はっきりしてきたのは、、自分の「安全」は自分で考え、守らなければならないという事実です。
私たちは、「正しい」安全基準や、「正しい」情報がなければ安心して生活できませんが、実はそんなものはどこにもないんだと覚悟するべきかもしれません。
政府や公共機関が「安全だ」と言っても、それはひとつの政治的な「判断」に過ぎず、将来「本当は安全ではなかった」とわかっても、必ずしもその政府や機関は責任をとることはできません。未来永劫、責任をとれる政治権力なんてもう幻想なんだと腹をくくったほうがいいかもしれません。
しかし、一人一人が自分の「安全」を真剣に考えることで、民主主義が活性化され、新しい社会のあり方へと向かうきっかけになるかもしれません。
エネルギー・デモクラシーという言い方がありますが、実は、食料・生活・エネルギー・福祉など、生きていくうえでもっとも基本的な問題について、一人一人が真剣に考えることからしか真のデモクラシーは生まれないと思います。
自分の生活の「安全」を、たとえば日米安全保障条約や、軍隊、原発などの巨大なシステムにおまかせし、依存するのではなく、一から自分で考える。しんどいかもしれませんが、それこそが「デモクラシー」の基礎を形成するのだと思います。
少なくとも、「3・11」以後は、そうしなければ「安心」や「安全」は得られなくなりました。

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