「夏の電力が足りない!」といって、目下、足りないキャンペーンが展開されています。
それで、原発を再稼働させたいということです。
今日、佐賀県の知事が、国が責任をもつなら、という条件で、玄海原発の安全性には問題がないと公言しました。それにしても、フクシマの事態が未だ沈静化しない中で、その当事者の国が、原発の未来の安全に「責任を持つ」というのはいったいどういうことなのでしょうか。加えて、今回知事が直接の責任を問われない(政府に責任を帰せられる)がゆえに再開を認めたのだとすれば、それも本当に無責任なことだと思います。
いずれにせよ、そこには疑いもなく、「第2のフクシマ」はもう起りえない、という思い込みがあります。
またもや希望的見通しの中で、なし崩し的な政策決定がなされようとしているわけです。
「あれは相当運が悪かった。でももう大丈夫だろう。」というところでしょうか。
本当に「学習」ということを知らない、日本の指導者たち。
戦時中から何も変わっていません。
玄海原発の事故は、確率は言われているほど高くはないかもしれませんが、万一深刻な事故が起こってしまったら、風向きの観点から言っても、フクシマ以上の取り返しのつかない被害を日本中にもたらすでしょう。目先のリスクと、長期的なリスクの軽重を秤にかけ、的確な判断をする能力を、もう日本の官僚も政治家も失っているのかもしれません。
「第2のフクシマ」を想像することは、すぐれて冷静な危機管理に関わる問題です。そしてそれはもう許されないのですから、二度とそれを起こさないように何ができるのか考えなければなりません。
「第2のフクシマ」という想定について
2011年6月30日