坂口安吾の「堕落論」を再読しました。
大学に入学し、1年生の最初の政治学のゼミで読んだのが、確かこの「堕落論」です。
その時は、まさかその後、彼の故郷の新潟へ移り住み、それから約25年後にこれを再読することになるとは思ってもいませんでした。しかも、「3・11」後に。家の近くの市立図書館の郷土史コーナーでふと見つけて、まるでそのタイトルが向こうから自分を呼んでいるようだったので、手に取りました。
敗戦後に書かれた「堕落論」は、今読んでも力があります。
安吾は、「特攻隊の勇士はただ幻影であったにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないか」「戦中は美しいものがあるばかりで、人間が居なかった」われわれは「堕ちきることが必要だ」などと言います。
しかし重要なのは、安吾が、廃墟や堕落の中から、自分の頭で考える主体が立ち上がるところにこそ、その後の人間の可能性があると考えていたことだと思います。
「3・11」の廃墟には、壊れた冷蔵庫や車など、戦後の「堕落」の堆積物が山のようにあります。そして、多くの「美談」の背後にも、人間のあさましさを嘆息するしかないできごとも多く見聞します。現代に安吾がいたら、なんというでしょうか。
今、日本人は第二の堕落論を書かなければならないのかもしれません。
「3.11」以後の堕落論
2011年7月12日