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シンガポールで考える 2

 その国に行くと、私はたいてい美術館に行きます。とくに現代美術館。
現代アートとっても、その作品が(国立の)美術館に展示されているということ自体で、すでに公式化(制度化・無力化)されているといえるのですが、いずれも優れた作品は「現代」との葛藤の中で生み出されていることには変わりがなく、その国、その社会に生きる人々のダイナミックな精神的格闘の後を見取ることができます。まあ、単純に、私は現代アートの数々の「遊び」の中でただ遊ぶのが好きだというだけのことなのですが…。
それで、もちろん、シンガポールの現代美術館(写真)にも足を運びました。

私には経験上の仮説があって、それは、その国の「市民社会」の活力は、よい映画やアート作品がたくさんつくられているかどうかでおおよそ判断ができるというものです。それゆえ、もしそれが正しいとすれば、シンガポールのアートを見れば、シンガポール社会の真の活力がわかるということになります。
素人判断、そしてあくまで今回限りの独断と偏見ですが、結論からいえば、シンガポールの「市民社会」は底が浅い(?)、ということになるかと思います。たまたまだと思いますが、今回「シンガポール発」の力のある作品にはあまり出会うことができませんでした。
ただ、若干の例外があって、たとえば以下の2作品は、印象に残っています。


上は、「Parklife」(2008年)と名付けられており、Chun Kai Fengというアーティストの作品です。下は、Dawn NGというアーティストの「Mirror Mirror」(2010年)シリーズのひとつ、「The Glass is Always Greener」です。
到底乗ることのできない(遊ぶことのできない)高いブランコ。強制収容所をイメージさせる「life(生活)」。それから、集合住宅に降臨した得体の知れない(かわいい)巨大なウサギ。
どちらも、鮮烈な<批判精神>を感じます。
これらの作品が、近未来小説、あるいはテーマパークのようなシンガポール社会の中から生まれたものだとすれば、それはとても腑に落ちるものであると感じました。この2人のアーティストの名前は今回初めて知ったのですが、どちらも1982年生まれということなので、これからも楽しみです。
いつも変わりつづける国、シンガポール。
「民主化」は、間近であるかもしれません。

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