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シンガポールで考える 3

 滞在中、シンガポール国立大学を訪れました(写真)。
緑の美しい、広大なキャンパスに、約2万5千人の学生が学んでいます。

そもそもシンガポール自体が多民族国家であるので、キャンパスで歩いている学生たちを見ても、まさに「国際社会」そのものです。知的創造性は、このような多様性から生まれるのだとすれば、うらやましい限りです。この点は逆立ちしても、日本の大学(特に地方の大学)には太刀打ちできない気がしました。
その一方、購買部で政治学のコーナー(写真)を見学してみると、これだけの規模の大学であるにもかかわらず、正直少々貧弱だなと感じた次第です。えてして東アジア諸国の本屋さんの政治学の棚は、アメリカ政治学一色なのですが、ここも例外ではなく、また並んでいる本もバラバラでした。いろいろな先生が指定したテキストをならべているだけなのかもしれませんが、それにしても、おざなりな感じはぬぐいきれませんでした。日本と同様、ここでも学生が本をあまり読まなくなっているのかもしれません。

これも勝手な決めつけですが、映画や芸術と同様、政治学の「発展」が、その国の「市民社会」の成熟度のバロメーターだとすれば、シンガポールの政治学の状況は、シンガポール社会の状況を多少は反映しているはずです。シンガポール社会に自立的(かつ批判的)にものを考える民衆がどれだけの厚みで存在しているのか…。もちろん、この問いに簡単に答えることはできません。しかし、実際に日本の政治学の衰退現状を見ても、事態はどこでもあまり変わらないのではないかとも思います。
一方、その前日に紀伊国屋書店を訪れた際、そこにかなり大きなスペースで「平和研究」と「テロリズム研究」という棚を発見し、驚きました(写真)。その隣の梯子がかかっている大きな棚は、「戦争(軍事)史」のコーナーです。これは、ヨーロッパの国々(特にイギリス)の本屋さんの並べ方に似ています。この書棚に、どれだけ一般のシンガポール市民が本を求めてやってくるのかは疑問ですが、ここには確かに、ヨーロッパ教養主義の香りが残っていました。

前述のH教授との対談の中で、学生が自分の頭で批判的に考えられるようになることがいかに重要であるのかという点について、意気投合しました。どうやらシンガポールでも、それは大きな課題であるようです。

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