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「反原発」と「憲法改正」を結ぶ論理

「ハシズム」とも呼ばれる橋下現象をどう理解するか。
いろいろな議論があるようですが、忙しくてほとんどフォローしていません。
ただ、断片的に橋下氏の言動を見ていて思うことがあるので、書き留めておきます。

橋下氏は、いろいろな主張をしていますが、中でも「反原発」と「憲法改正」は目をひく要素です。
本来、保守と革新という古い枠組みで見るならば、この二つの主張が同居することは少々おかしなことに見えますが、おそらく、今の多くの国民の心の中で、この二つの主張は矛盾なく同居しているのかもしれません。
この二つの主張を結ぶ、共通の論理は何か。
それは、おそらく、簡単に言って、「アンシャンレジーム(旧体制)の解体」であるのだと思います。「戦後体制」そのもののラジカルな否定と言えるのかもしれません。それほど、今の政治は国民にとって行き詰っていて、出口が無いように見えるのです。
ですから、まずは具体的な行動や成果を示して、どんどんと旧体制を解体してゆく小気味よい橋下政治は、多くの国民に爽快感をもたらしているのでしょう。何の実証的な証明もできませんが、ともかく、「こんなにまで行き詰っているのだから、まずは壊してみないと何も進まない」という心境が、多くの国民に共有されていると言えるのかもしれません。ですから、「ハシズム」だとかいって、歴史を持ち出し、高みから批評をする学者や研究者も、彼が一言、「彼らもまたアンシャンレジームだ!」と宣言すれば、いっきょに説得力を失ってしまうわけです。
橋下政治の本質は、一も二もなく、「過去の破壊」にある。それゆえ、おそらく、かつて「自民党を破壊する」と言って人気を博した小泉政治の系列に位置しています。つまり、最終的に「何らかの秩序をつくりだす」ことに橋下政治の本当の目的はないのではないか。「破壊」のプロセスそのものに、そしてそのプロセスにおいて大衆に愛される(権力を掌握する)ことにこそ、その真の政治目的が内在している…。
確かに、たとえば維新の会の「船中八策」は、具体的な政策マニフェストだと言われています。けれども、個々の「策」同士の整合性はあまり高くありませんし、それ以上に、一院制や憲法改正など、実はそれが実現までにかなりの困難と時間を要するということにこそ、「八策」の真の意味があるようにも思えます。つまり、マニフェストは、「今までとは全く違う何か」であればそれで良いわけで、それが漠然としていて遠い目標であればあるほど「破壊」のプロセスを持続することができる。通常、マニフェストは、具体的になればなるほど、色あせて見えるものですから、橋下政治の本質が私が予想したものであるとすれば、「船中八策」は、これ以上具体的に議論をしないほうが彼の政治にとっては有益であるはずです。
過去や歴史の軽視、そして憎しみ。それが橋下政治とそれを支持する人々の意識の底流にあると思えてなりません。そしてそれは、やはり、1930年代のドイツの社会心理状況と酷似しているのです。
歴史に謙虚でなかった日本人が、2011年に原発事故を起こした。そして、同じ歴史に学ぶことのない不遜な日本人が、憲法の理念を実現する前に、それを「古くなった」と言って変えようとしている…。
橋下政治の一連の騒動を見ていると、ぼくにはそう思えてなりません。
終始一貫しているのは、国民も、そして政治家自身もまた、「政治」を信じていないという事実です。

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