6月2日(土)、宮城県亘理郡山元町(相馬郡新地町の北、福島県との県境)で夕方まで学生たちと農作業のボランティアをして、それから帰りに「海岸通り」(6号線よりひとつ海岸側にある道路)を車で走りました。
あれから1年以上経っても、瓦礫が少し片付いた程度で、何も変わっていない風景。
しかも、見渡す限り(そして地の果てまでもと思うほど)、あまりにも広大な、沈黙の空間。
今回、農作業を教えてくださったのは、大坪さんご夫妻でしたが、彼らは海の近くでイチゴ農家をしていて津波にあい、家も畑もすっかり流されてしまったそうです。その大坪さんが、「まるでサバンナのようになってしまった」「キリンや象が出てきそうな」と語っていた風景が、実際に目の前に出現しました。
私は愚かにも、それまで津波は「水」からできていると思っていました。
なので、津波が来たら、サーファーのように波に乗ればよいのではないか、泳げば案外助かるのではないか、と馬鹿なことまで想像していました。
けれども、津波は、「個体」です。家は基礎からもぎ取られ、鉄や堤防も飴のようにぐにゃりと変形するほどの力で、地上のあらゆるものを圧殺します。やわらかい人間がそのままの形で生き残れる可能性はほとんどない、ということが現場に行って初めて実感できました。
人間がつくりあげた建造物、文明、社会、それは自然の力の前に、本当に小さい…。
それは言葉面(づら)できいたことがあっても、その場所に佇むまで、本当に理解してはいませんでした。
「日本の家は、紙と木でできているから、素手でも全部壊せる…。」
以前、戦火を免れてやってきたチェチェン人の息子が、日本の家を見てそう言ったのを思い出しました。
どうして日本人は昔から、紙と木で家を造ったのか。
それは長年の疑問でしたが、今回、なんだか少し分かったような気もします。
日本人の家は、昔から、焼けたり壊れたり、流されたりすることが前提だったのではないか。
壊れたら全部土に還る家。それは、日本の自然が人間たちに教え込んだもっとも理想的な家なのではなかったか。
この「サバンナ」の風景から再び出発しようと思っています。
何十年も積み上げてきた畑を一瞬にしてすべて奪われ、現在は仮設住宅に住みながら、にもかかわらずご高齢の身体を奮い起こし、また一からイチゴの苗を植えはじめた、あの大坪さんご夫妻のように。
「サバンナ」の日本から ① 津波という経験
2012年6月4日