MENU

「サバンナ」の日本から ② 残されたもの

家も畑も一挙に津波に流された大坪さんでしたが、家の庭にあった大きな石だけは残っていたと言います(写真は大坪さんご本人と家の石)。よく見ると、他の家も、基礎だけは残っていたり、頑丈な門の下半分だけが残っていたりします。

大坪さんによれば、石はとても良いものだったので、震災後、誰かにゆずろうとしたということですが、しかしこれらの石にも、きっと津波の際に多くの死体が激突したであろうから、結局は誰にもゆずれなかったということです…。
この地域でも、依然として遺体が見つかっていない方がまだまだいます。
                         *****
私たちはさらに、海岸通りを南に少し下りました。すると、山元町立中浜小学校のさらに衝撃的な光景と出会いました(写真)。
変電盤?は根こそぎ倒され、体育館の中もぐちゃぐちゃ。校舎の2階の天井近くまで水がやってきたそうです(非常階段がある校舎を写した5枚目の写真をよく見ると、校舎の上の方に青い印があって、「ここまで水が来た」と書いてあります)。幸い、ほとんどの子どもたちは、ぎりぎり難を逃れることができたようです。




またこの小学校には、廃棄された車がたくさん集められていましたが、その個々の壊れ方を見るだけで、津波が実際にどんな力をもっていたか、よくわかりました。

この小学校は、震災の記憶をとどめるための施設になるという計画があるそうです。しかし、それ以外の広大な大地の今後については途方にくれるばかりです。防災公園にするという案もあるようですが、本当に広大な土地なので、すべて公園にするといっても限度があると感じました。
しかし、先にも書きましたが、私たちはここから出発するしかないのです。

よかったらシェアしてね!
目次
閉じる