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「死の街」、霞ヶ関に行く

原発が再稼働される…。福島原発事故のしっかりした検証が終わる前に。何の国民的合意もなしに。首相がどこかの「空気」を読むだけで。いつものように。何事もなかったかのように。「安全神話」への「逆コース」。
それはあまりにひどいということで、私も、経済産業省前の抗議テントを訪れました(写真)。
霞ヶ関などは普段用事がありませんから、おそらくちゃんと街を歩いたのは初めてだったと思います。

行ってみるとすぐにわかりました。何しろ、そこは(そこだけは)、「霞ヶ関」の他の場所とはまるで異質な空気が漂っていたので。
私はさっそくテントに交代で泊まりこんでいる人や訪れてきた人(日本全国から来ているようです)と話をしました。テントの表には、私が訪れた日が、ここができてちょうど274日目にあたることが書いてありました。「廃炉招福」というメッセージが面白いですね。残暑や冬の寒さを耐え忍んで、本当によくここまでやってこられたと思います。 今度はまた、本格的な夏の暑さの克服が課題だということなので、次回は気の利いた差し入れをもって行かなければなりません。

私は、テントの表の椅子にすわって、しばらく官庁ビルが建ちならぶ街の景色を眺めていました。すると、いろいろなことが見えてきます。日曜日だったので、背広姿の通行人はほとんど見られず、閑散としていました。道路に佇んで、日本社会の中枢を支える音の消えた官庁街を見ていると、なぜ日本政府がなし崩し的に原発の再稼働を決めてしまったのか、よくわかるような気がしました。
日本という国は、まるで経年劣化した原子炉のように、今、大きな制度疲労を抱えている…。きれいな官庁街の個々のビルの中には、その壊れかけた巨大機械を何とか稼働させるためだけに、機械の一部となった小さな人間たちが日々セカセカ働いている。けれども、そのあまりにも同質的な空間においては、何か新しいものが生みだされるような知性や創造性はもうとっくに死に絶えてしまっている…。
そう感じました。
テントで偶然出会った若者たちと、首相官邸前にも行きました。すると、予想以上の厳重な警戒。警察官に呼び止められ、官邸に向かう横断歩道を渡ることさえ許されませんでした(下写真。奥に見えるのが新しい首相官邸です。) 「野田、でてこい!」という私たちの叫びも、誰にもききとげられることなく、無表情のビルに吸い込まれていくようでした。

今、確かにこの国は、再び大切な何かを切り捨てて、滅びの道に向かって進んでいると思います。一体何を守って、何を切り捨てているのか。そもそも国は何のためにあるのか。
そういう根源的な問題を、手作りのテントから見つめなおす。再び思想をつくりなおす。そこからしか、本当の「復興」や「再生」はありえません。それが私が身体で感じ、確信した<真実>です。
このブログを読んだ方々も、まさに今、「死の街」霞ヶ関に行ってみませんか?身体を動かしてみて初めて分かる真実もあります。そして昨日、すでにもう1万人とも言われる市民が、官邸前に現れたという知らせも届きました。

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