29日は、国会前のデモに参加してきました。
そして日付が変わって今、最終の新幹線で新潟に帰ってきました。
そしてテレビをつけると、やっぱりオリンピックの事ばかり。
デモについてのニュースでは、警察発表で、参加者が1万人というものもありました…。
今はまるで自分がオーウェルの『1984年』の世界に居るような気分です。
私が見たものは、いわばほとんど「革命」に近いものでした。
人数は、主催者発表のように20万人は行かなかったかもしれませんが、最低でも10万人以上はいました。それもあちらこちらで寸断され、国会周辺の現場にたどりつけなかった人々をカウントしないとしてもです。
たとえばあの「新潟花火大会」の比ではありませんし、私だってプロ野球で球場が満員になる感覚もわかります。
あまりにひどい報道。記者は現場に行っていないのでしょうか。
警察は、「国会を取り巻く」というデモの当初の目的を実現させないために、国会裏で人々の流れの一部を寸断した結果、そこであふれた人々が逆に国会前の道路広場に流れることになったようです。
国会前の道路には、警察が何とか人を入れないようにしていたのですが、やって来る人が多すぎて、その柵も取り払わざるをえなくなりました。それが私が見た事実です。
写真にもあるように、国会の正門前は、やむなく警察もあの青い機動隊バスを出動させ、バリケードを組んでそれ以上の侵入を防ぐしかないという状況でした(人々の向こうにバスの屋根と国会の建物が見えます)。
それにしても。
「声」が届かない政治。「声」を届けようとしないマスメディア。
それで、参加した人たちがなぜ何度も足を運ぶか理由がわかりました。
それは、世界の嘘に気がつくからです。
自分が今まで見せられて、信じていた世界が嘘だらけであることがわかるからです。
国会がこれほど人々に取り囲まれたことは1960年安保以来であるにもかかわらず、それは大きな「ニュース」にはなりません。なぜでしょうか。
下は、同じ日の夕方に、デモの到着前に撮った国会前の写真です。
警察は、この広場が、1960年の時のように人で埋め尽くされる状況をぜったいつくりたくなかったに違いありません。終始一貫、ここには人が入らないよう、細心の注意を払っているようでした。
けれども、「それ」は起こりました。
上の写真のように次第に人が集まり、結成したばかりの「緑の党」もやってきました(下)。
しかし、この段階でも、以下の写真でわかるように、彼らの後ろの広場は、人が入ることはできませんでした。
しかし、その後、国会前の通りは、道路の反対側をずっと見回しても、人は増えるばかりでした。
やがて、どんどん膨れ上がる人々は、もう歩道に居場所がなくなり、やむをえず通りにあふれだしました。そして最後は以下の写真のように、あの広い道路をすべて埋め尽くしました。
これが「1万人云々」という警察発表は、一目瞭然、本当に「嘘」だということがわかります。
今回はなぜ主催者発表と警察発表が10倍近くひらいたのでしょうか。意図的なものを感じます。
本当に暑い夕方でした。
蒸暑いので、人がたくさん密集しているのは正直心地よいものではなく、不謹慎ですが、隣にいるおじさんにも「おっさん、暑苦しいなあ」と思っていたりもしました。もちろん、自分もそう思われていたでしょう。けれども、普段電車で会ってもお互い無関心であろう人々が、あるいは他ではきっと馬が合わないかもしれない人々が、最低限の正義を守ろうとしてここに一緒に佇んでいる。誰に命じられたわけでもなく、個々人が自分の意志で立っている。そういう空間でした。
そこは、「ひとりがすべて何でもできるわけではないが、けれどもけっして何もできないわけではない」という、静かで冷静で、そしてどこまでも成熟した空気で満たされた空間でした。これまでの日本の硬直した権力関係は、今少しずつ溶解しつつある。そう確信できました。ふと、「Point of No Return」という言葉が浮かびました。
7月29日は、またひとつ、日本のデモクラシーにとって、歴史的な日として記憶されるでしょう。「永久革命」としてのデモクラシーの闘いは、これからもまだまだ続きます。
国会前デモに参加して
2012年7月30日