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日の丸を読み替える

柳宗悦の『手仕事の日本人』に、「我が国の日の丸の旗も、万物を照らして育てる太陽の大を讃える心の現れだと見てよいでありましょう。」という一節があって、ハッとしたことがあります。日の丸の赤色は、かねてよりなんとなく、先の戦争で血塗られた「赤」であるとイメージしていましたが、もともと太陽の赤、新潟の海に沈んでゆくあの夕日の赤だったわけで、そうなると、むしろこれからは、日の丸をあえて読み替えていくことが重要なのではないかと思うようになりました。
たとえばそうやって柔らかく考えるてみると、赤色の日の丸は、良く見れば、おしゃれな赤色の「水玉」としてだって見ることができるできるかもしれません。
水玉と言えば今流行の芸術家、草間彌生(くさまやよい)さんを思い浮かべることができますが、彼女の言葉が秀逸です。
「私の水玉はただの水玉じゃないの。平和のシンボルとして売り出しているんだから。」
彼女の赤い水玉が、ニューヨークのルイ・ヴィトンの店全体を覆っているニュース映像を観ながら、ここにも日の丸の新たな<変身>の可能性を予感することができました。
血塗られた日の丸を、破ったり燃やしたりできないのだとすれば、せめてもっとスマートに「読み替える」ことはできるのではないか…。
同じことは、たとえば日本国憲法にについても言えるわけで、「解釈改憲」というネガティヴな方向ではなく、むしろ解釈のみずみずしい変更によって、あるいはより創造的でポジティヴな憲法の再生も可能かもしれません。
敗戦と「戦後」にまつわる泥濘(ぬかるみ)にいつまでも足を取られ続ける被占領地国日本の希望は、そこらへんにあるような気がします。

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