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「社会主義文明国家」

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、2013年9月4日付の『労働新聞』で、「社会主義文明国家」の建設を謳っているそうです。この場合の「文明」とは何か、が私の関心事です。以下、「自主・平和・親善のために」というブログからの引用です(http://blog.livedoor.jp/tabakusoru/)。
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【平壌9月4日発朝鮮中央通信】4日付の「労働新聞」は社説で、こぞって朝鮮労働党の指導に従って社会主義文明国の建設に一斉に奮い立ち、わが祖国を世界がうらやむ文化的で発展した国、チュチェの社会主義強盛国家に輝かしていこうとアピールした。同紙は、われわれが建設する社会主義文明国は全人民が高い文化知識と健康な体力、高尚な道徳品性を身につけて最も文化的な条件と環境で社会主義文化生活を思う存分享受し、全社会に美しくて健全な生活気風が満ち溢れる国であるとし、次のように指摘した。
  人民の理想と念願が実現された国、主体性と民族性が実現され、社会主義社会の本来の要求が徹底的に具現された国がすなわち、われわれの社会主義文明国である。最も優れた社会主義制度と長い歴史的闘争の中でもたらされた豊富な経験と土台は、社会主義文明国建設の力強い推進力である。われわれの社会主義は、人民大衆がすべての主人となり、社会のすべてが人民大衆のために奉仕する人民大衆中心の社会主義である。わが国では、党と国家のすべての活動が人民の生活向上に志向されている。全般的無料義務教育制、無料治療制が実施され、文学・芸術とスポーツをはじめ、あらゆる文化分野が人々を自主的な思想意識と高い文化知識、健康な体力と高尚な道徳品性を身につけた全面的に発展した人間に育成するのに奉仕している。わが人民は、富強祖国の建設のための長久の歴史的闘争の中で自分のものを重んじ、自分の力を一番信じる精神を培い、絶えず新しいものを志向して疾走し続ける革新と飛躍の豊富な経験を積んだ。その日々に、学校と病院、劇場をはじめ文化的富が数多く増え、文明国建設の強固な物質的・技術的土台が築かれた。
  同紙は、革命性と創造精神が強く、並外れた英知と才能を身につけた人民がおり、底知れない潜在力があるので、われわれの強盛国家建設偉業が活力を帯びて前進しているのであると強調した。
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 ある政治体制が「理想」を語るとき、それが純粋であればあるほど、その背後の権力性や矛盾についてしっかりと注意をして考える必要がありますが、この場合も例外ではないでしょう。けれども、今、北朝鮮の体制が何を目指そうとしているのかについて、この「社会主義文明国家」ということばは多くを語っている気もします。単なる「社会主義国家」と「社会主義<文明>国家」とは何が違うのか。おそらく、「文明」ということばにこめられた意味は、「人民の生活向上」という一言に集約されているように思えます。
 実際は、国内の財政問題や貧困問題がかなり切迫しているはずですが、スキー場をつくったり、遊園地をつくったり、ゴルフ場をつくったりするのは、おそらく北朝鮮政府が、海外先進諸国の庶民の普通の消費生活を国内に実現(あるいは少なくとも演出)しようとしているからでしょう。つまり、グローバル化の波は、北朝鮮にも例外なく及んでいると言えそうです。
 「文明」が主として「人民の生活向上」を意味するとすれば(この場合の「人民」はだれを指すのかという問題は置いておくとしても)、この「生活向上」が何を意味するのかについては考えておく必要があります。実際、ここで謳われている「生活向上」とは、人民がスキーをし、遊園地で遊び、ゴルフをすることが普通にできるようになることを意味するように思えます。しかしもし本当にそうだとすれば、ここでの「文明」概念は、単に資本主義諸国の消費文化や商品経済と同義であり、ちっとも新しくはないということです。
 この「社会主義文明国家」を謳う隣国に対して、私たちはどう向き合えばいいでしょうか。それが悲惨なパロディのように見える人は、しかしその悲劇をつくりだしたのは、まさしく日本の植民地主義だったということを忘れるべきではないでしょう。日本の近代化もかつて「文明」を目指しました。そして隣の最貧の核保有国も今また、グローバル資本主義という「文明」を追い求めています。問題は「文明」概念の中身であり、そこにこれまでとは異なる新しい内容を注ぎ込むことができるかどうかなのだと思いますが、そのための真の想像力を、東アジア地域にまだ十分確認することができずにいます。
 
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