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市民エネルギーという先端――新しい「発展」と「安全」を求めて

またまた本当に久しぶりの投稿です。「多忙」は言い訳になりませんが、本当に多忙を極めていました。気がついてみれば約6か月ぶりです。
世の中は、安全保障をめぐる問題、経済政策をめぐる問題について、それぞれ大きな意見の断裂が見られますが、まずはどちらの問題も深く相互につながっているという事実から出発する必要があると思います。
国際連合は創立70周年にして「持続可能な発展のための目標(SDGs)」を掲げ、ようやく地球的問題群の各分野に深い相互関係があってそれらを包括的に把握して取り組む必要性(“知のプラットフォーム”)を訴えていますが(https://sustainabledevelopment.un.org/)、グローバル化の時代には、一国の問題も全部相互につながっています。
安倍政権の安保政策も経済政策も「この道しかない」というわけですが、それは憲法の平和主義という戦後の約束を違えてでも、世界中で自在に軍事行動のできる軍隊を備え、たとえ兵器や原発の売買に手を染めてでも、あのかつてのような経済成長をもう一度、という極端(かつ時代錯誤、かつ非現実的)なものです。一方、それがあまりにムチャなので、国民的な反対運動が巻き起こっていますが、それは「この道しかない」というその道の先には、どう考えても展望がないからです。
しかし、それじゃ「この道」以外の道はあるのか、ということが問題なのですが、経済成長や発展そのものを否定する、あるいは安全保障政策を考えることもいっさい止めるというわけにはいきません。ややもすると、今の政権に反対の立場の人の中には、そういった主張をする人も散見できます。しかし私の判断では、「経済発展」と「安全の保障」は、国民や市民にとっても最重要の問題として何らかの「答え」を出す必要があります。問題は、「もうひとつの異なったタイプの“発展”」や「本当の意味における“安全“」を構想できるか、という一点にあるように思えます。
日米安保への従属は止めるべき、原発の再稼働は止めるべき、TPPへの参加は止めるべきだとして、「発展」や「安全」をどのように実現するかを真剣に考える必要があります。私にとって市民エネルギーの試みは、「新しい発展」と「新しい安全」を模索するための、もっとも有望な道筋にほかなりません。
市民エネルギーの試みは、「成長」や「発展」を否定しません。ただ、これまでのGDP優先主義や生産力主義、効率優先主義とは異なる原理を模索します。つまり、「成長」や「発展」の再定義を行います。市場やお金も否定しません。それらは健全に機能するなら、自由な社会に不可欠だからです。しかし、現在のような怪物化した非人間的な市場や金融を否定します。人間にとっての人間のための人間の顔をした経済を目指します。
また市民エネルギーの試みは、「保守」の思想を否定しません。つまり、「安全」や「伝統」を重視します。しかし、現在のような「保守」の名を借りた事実上の社会の破壊について強く反対します。「強いものだけが生き残る」という社会は、実は弱い社会です。軍事同盟や軍事力に依存する安全もきわめて脆い。多くの脅威から家族や仲間、郷土を守るのは本当は何であるのかを真剣に考えます。
そしてまた、市民エネルギーの試みは、生活や社会の礎であるエネルギーを媒介に、あらゆる境界を越えて展開します。強靭で自立した個々のコミュニティが相互に助け合う、グローバルなネットワーク社会を構築します。そしてそれは、開かれた社会と新しいデモクラシーの実験場となるにちがいありません。
どうでしょう。確かに、私は<夢>を見ています。しかし、こんなにも手ごたえのある<夢>を見るのは初めての事です。
どうかいっしょに<夢>を見ませんか?
 

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