先日故あって、大阪駅で長い時間を潰すことになったのですが、ものすごいコテコテの、究極の最新巨大駅ビルで過ごしているうちに、何故だかだんだんと息苦しくなって、しまいには怒りすらこみ上げてきたという経験をしました。営業妨害になってしまうのであまり言えませんが、そこはまるで、「あなたの〈生〉にとって必要なものは全てここにあります」と言わんばかりの空間設計。実際に何でもあります。店舗内に何個もカフェを内包する、迷うほど大きい売り場の某書店では、しかしながら、本や知識に対する愛着は微塵も感じられず、ただ商品としてライトアップされただけの「本」がインテリアとして並べられていただけでした。その店に満ち溢れるのは、「本はインテリアであり、消費物以上の何ものではない」、というメッセージです。本当に本を読めば、実際はそんな空間を根底から批判し、破壊したくなるはずなのに…。けれども本たちは、悲しくもその無知で乱暴な分類の陳列棚に行儀よく収まって、まるで近未来のアウシュヴィッツのようでした。
この商品文化の海に溺れながら、本当に誰もが満足し、満ち足りた〈生〉を営んでいると思っているのか…。この楽しそうに歩いている(あるいは自分が楽しいと思い込もうと必死にそれを演じている)人々は、本当にこれを善きものとして肯定しているのか…。大阪駅は、「文明の終着駅」を直観できる場所かもしれません。そこにはすべてがあって、すべてが哀しい。親切なことに、屋上に「空中農園」まで用意されているこの空間で、果たして人類史は終点を迎えてしまうのか、それとも「人間」とはそれ以上の何ものなのか、そんな大げさなことも考えさせられました。