「3・11」後の文脈で 竹内好「近代の超克」を再読。
戦争に加担したといわれる、京都学派やロマン主義者たちがなぜ結果的にそうなったのか、竹内はこの論文で、まさに火中の栗を拾うように、その内在的メカニズムを明らかにしようとしました。
結果的に、「一二月八日(開戦)の一撃」によって、「主観的には神話の拒否ないし嫌悪は一貫しながら、二重にも三重にも屈折した形で、結果として神話に巻き込まれた」というわけですが、この一節は、日本精神の変わらないはらわたをえぐりだしているようで、迫力があります。
ここから、繊細な個々の思想が、集団になるととんでもない(呆れるような)暴挙や決定を生み出すという、近代日本が何度も繰り返してきた悲劇の秘密が一部明らかになるような気がします。
そういえば、国連でアイゼンハワーが「Atoms for Peace(原子力の平和利用)」の演説をしたのも、1953年の12月8日でした。
この二度目の「一二月八日の一撃?」の奇妙な論理構造を、戦後日本の被爆者すらもが受け入れていったということの秘密。それは、竹内の「二重にも三重にも屈折した形」の人間の精神の営みを分析することしかアプローチできない気もします。
原発は、近代の結晶のようなものに見えながら、一方で「近代の超克」を想起させる何かでもある。それが気になって仕方がありません。
「3・11」と「近代の超克」
2011年9月27日