今日は日曜日。しかし、ちょっと特別の日曜日で、2001年9月11日の「同時多発テロ」からちょうど10年目の、また、フクシマ「3.11」からちょうど半年にあたる日となりました。そして、「3・11」から半年の今日、全国(世界)同時の反原発デモが企画され、私は新潟でのそれに参加してきました。
新潟は天気に恵まれすぎて、少々暑かったのですが、約200名が集まり、いわゆる「サウンド・デモ」、つまりめいめいが色々な音を発しながら楽しくパレードしました。
気がついたことは、こういった公道でのデモに、沿道から平均以上の興味を示したのが、子どもと若者と外国人だったということです。繁華街では、足を止めて、プラカードやパレードの様子を見つめる人々も多くいました。
ただ、どうしても、日本では、デモをしている人と、沿道の人が目に見えない境界線で分断されているような気がしてなりません。警察の誘導の問題もあるのでしょうが、日本人の身体がことごとく深くまでシステム依存的になっていて、面白そうだな、と観るまではするものの、自然に体が動いて参加するというまではいかない人が大多数でした。日本ではどうしても、公共空間において民衆が連帯して表現するスペースや機会が少ないのですが、その原因はかなり根源的であるような気もします。当の自分自身も、教えられた「反原発の歌」を踊りながら歌うことはどうしてもできませんでした。人前で踊ることは、やはり慣れていないし、自己規制がかかります。私も根源的に身体が管理されているのかもしれません。
けれども、デモ(パレード)も、この間進化を遂げていて、やはり音楽を媒介にすることで、市民が自らの意見を公共空間で表現しやすくなりましたし、また、下の写真のように、沿道に配布するものも、洗練されるようになりました。これは、↓ うちわですが、(故)忌野清四郎さんの顔が真ん中にあって、シンプルに原発はいらないと主張しています。また裏には、「フクシマと共に生きる」と書いてあります。これを沿道の人たちがこれをパタパタ煽げば、それ自体、もうひとつの「デモ」になるという仕掛けです。
デモの帰り、コンビニでアイスクリームを買いました。けれども、そこで忙しそうに働いている中年の女性や若者を見ていて、「原発どころじゃねえ!」という声もきこえてきそうでした。現代において、ひとつの大切な問題を皆で共有することのむずかしさ。
帰り道、ふと見ると、捨てられたうちわ…。それを一つ拾って、帰宅しました。
9/11のデモ
2011年9月11日