昨日、柏崎で開催されたエネルギー政策評論家、飯田哲也さんの講演に出席し、その足で久しぶりに柏崎刈羽原発に行ってきました。
写真は、冷たい雨が降る日の、柏崎刈羽原発のただ一か所のゲートです。
30年以上も技術者として1号機の建設から関わってきたというSさんに案内してもらいました。「3・11」以降設置されているという何台もの自前の消防車や電源車、建設予定の非常用プールや防波堤、シールドされた建屋、新しい非常時の対策本部などを熱心に紹介・解説していただきました。
ただ、来年には定期点検で1号機から7号機まですべての炉が止まることは確実で、再開の目途も立ちません。Sさんは寂しそうでした。自然エネルギーへの転換が、未だ多くの問題を残していることを技術者の立場から一生懸命に語っておられました。
常時約7000名(内東電社員約1200名)が敷地内で働いているということでしたが、これからの「脱原発」の過程で、これらの人たちの雇用をどうすればいいのかについても、考えざるをえませんでした。
かつては「中操」(中央制御室)の「当直長」(リーダー)だったというSさんに、「フクシマの事故の当日、技術者としてどう思われましたか?」と問いかけたところ、「あれだけ長い間の電源喪失は、訓練でも想定されていませんでした」とのこと。「想定外というと今は怒られますが…」と付け加えて。
海上保安庁や警察が厳重に警備する閉ざされた空間の中で、東京の欲求に必死に応えるために危険を背負いながら人知れず稼働し続ける原発。
Sさん。それから東京電力の皆さん。今まで本当にごくろうさま。
けれども、今、こういう社会のあり方そのものが変わろうとしています。今まで何十年も当たり前だったあり方に、根源的な問題があることが明らかになってしまったからです。どうして電気をつくるために、警察や軍隊や避難訓練が必要なのでしょうか。電気をつくるために、どうして隠し事ばかりしなければならないのでしょうか。電気をつくるために、どうして無数の被曝者を出し続けなければならないのでしょうか。
飯田哲也さんの話にもあったように、人類は次なる「産業革命」を迎えつつあるといっていいでしょう。人間も、社会も、学問も、徐々に根源的に変わらなければならなくなっています。
その意味で、フクシマ、柏崎のこれからがどうなっていくのかは、普遍的な意味をもっています。
再訪 ― 柏崎刈羽原発
2011年11月21日