今年の「3月11日」は、アメリカから日本に帰る飛行機の中でした。
福島や東京では、「1周年」ということで、事前にいくつかの集会などのお知らせがあったのですが、どれも出席できませんでした。テレビや新聞でも、多くの特別企画があったようです。
けれども、なぜか、この「あれから1年」という言い方が、しっくりきません。
私の中では「あれから」時間が止まっているように感じます。すくなくとも自分は、1歩も前に進んでいるとは思えません。そして「あれから」起こったすべてのできごとが、今思い出しても、なぜかかすんで小さく感じます。
原発事故については、そのために備える思想をノロノロと準備していた最中でした。けれども「それ」は起こってしまった。今では、もう捕捉することのできないくらいの多くの関連本が、本屋に山積みになっています。それを見ても、なぜか空しい感覚が襲ってきます。多くの「言説」や「評論」が、かつてと同じように、原発という流行にハゲタカのように群がっているだけのようにも見えます。
「除染」や「復興」という、表面だけを取り繕い、その実、腐臭を放つ言葉たちも同じです。なぜ日本人は、じっと佇まないのか。なぜ次々と意匠を凝らしてごまかそうとするのか。なぜ経験を経験として生きようとしないのか。そう感じます。
ヒロシマもナガサキも、第五福竜丸も、今や日本人の記憶の中では色あせた存在にすぎず、1年に1度、「あれから…年」という形で思い出されるものでしかありません。そして、フクシマも、たった1年で浄化され、記号化され、無色になっていくのでしょうか。
永遠の時の中で考える。
だから1年などというのは、まばたきにすぎません。
これから何十年、あるいは何百年も見据えて考えなければなりませんし、そのためには、今から何十年、何百年も前から考え直さなければなりません。去年のできごとは、そういう種類のできごとだったと思います。
危機は今に始まったわけではなく、人間が核をつくりだしてからすでに始まっていました。
そしてその危機は、地球上に核が存在する以上、存在し続けます。
だから、あわてふためく必要もありません。これまでと同じように、人間が抱える本当の<危機>を見据えつづけ、これを克服する道を探るしかありません。現代の人間が生きるということは、きっとそういうことなのだと思います。
あれから1年?
2012年3月14日