昨日まで、学生たち9名といっしょに、再び南三陸を訪れました。
これから学生ボランティアを中心に、継続的に被災地に関わってゆける仕組みをつくろうと、学生諸君がプロジェクトを立ち上げたのですが、その第2弾です。
今回の作業は、海にもっとも近い「元浜」地域の被災家屋での瓦礫の撤去・整理・清掃作業でした。写真でわかるように、被災家屋と言っても、見渡す限り、もう基礎しか残っていません。その基礎部分も海の砂で一杯で、それを掻き出しながら、「瓦礫」を撤去することになります。
言うまでもなく、「瓦礫」とはいっても、その多くは、もともとそこに住んでいた方々の家の一部であり、財産でした。上の写真でも、下の方に写っているV字型のものは、おそらくお子さんの兜の角です。このお宅にはきっと小さなお子さんが居たのでしょう。可愛い小さな長靴なども出てきました。
ビデオデッキも出てきます。
それから、これはおそらく割ぽう着です。もうそこに雑草が根を張っていました。
まだ割れていない茶碗やお皿なども出てきました。これは、とっておきます。一番左にあるのは、まだ蓋がしまっているマムシ漬けの酒瓶です。
ここはきっと台所だったのでしょう。蓋があいていない缶ジュースなども出てきました。
スコップで掘り返すごとに、そこで暮らした方々の生活が浮かんできます。多くの屋根の瓦などと一緒に出てくるので、とにかく津波でぐちゃぐちゃに上下がかき回されたのがわかりますが、奇跡的に無傷で残るものもあるのです。
また、マスメディアでもう十分有名になりましたが、建て壊しが検討されている防災対策庁舎も、近くにありました(下の写真)。厳かな雰囲気で、自発的な祈りの場所になっていました。辛い記憶を一日も早く忘れるために壊した方がいいという意見と、悲劇を忘れてはならないから残すべきだという意見があるようですが、どちらもわかります…。
ただ、私自身が被災者ではないためだと思いますが、どうしても「忘れてはならない」というふうに思ってしまいます。この土地は、古から何度も何度も津波にのまれてきました。だから、もう二度と…、という風に思ってしまいます。
けれども、同時に違う思いも浮かびます。人々は、何度も何度も、そのたびに田畑をつくり、街をつくり、子育てをしてきました。他に方法がなかったからなのかもしれません。あるいはただ貧しかったからなのかもしれません。しかし、とにかく、ずっとそうしてきた。
もしかすると、それがこの土地の長い生活(生命)の流儀だったのではないか…。
豊かな海から命の恵みを受け、しかしまたその海にすべてを奪われる…。
そんな思いが浮かんだあと、しかしすぐに、「いやいや、もう二度と、こんなことはあってはならない!」という強い思いも浮かんできます。その繰り返しです。
記憶とは何か、生きるとはどういうことか、そういう根源的な問いの海の中に投げ込まれるようです。
南三陸災害ボランティアセンター代表のIさんにもお話をうかがう機会(縁)をいただきました。そこでIさんが「がんばるのではなく、ふんばる」とおっしゃった事は忘れられませんでした。もう十二分にがんばってきた。がんばり過ぎた。だから後は突然ぷっつりと自分の気持ちが転げ落ちないよう、毎日ぎりぎりで「ふんばっている」しかない…。
ボランティアの数も一時期よりも減少傾向にあることもうかがいました。ニュースも日々少なくなっているので、この傾向は顕著になってゆくかもしれません。けれども、だからこそ、これからはずっと(長期的に)被災地に関わりつづける地道な試みが重要になってくると思っています。
今はまだここには書くことができない混沌とした感情や経験は、また整理ができたら書きたいと思います。
南三陸元浜の、まるで究極の爆弾が落ちたかのような、見渡す限りの破壊の風景は、私にとっての何らかの「原風景」にきっとなってゆくと思います。しかし、それが何の「原風景」であるのか、まだわかりません。
最後に、丘の上にある宿から見た美しい海の写真を添えておきます。
再び、南三陸にて。
2012年9月5日