今日は、映画 『飯舘村――第1章 故郷を追われる村人たち』(土井敏邦監督 2012年)を観ました。自主上映会でした。
「3・11」が、個々の被害者の顔や固有名詞を失い、全国的にも忘却のプロセスが進行する中で、ドキュメンタリー映画がまさに為すべき仕事をしっかりやっているという作品でした。よく知られているように、監督が長くパレスチナに関わってきたことにも意味があります。
写真は、映画のHPからコピーしたものですが、家族同様育ててきた牛を「殺処分」するため、嫌がるのを泣く泣く畜産農家の志賀さんが引っ張って移送するシーンです。
このブログでも何度も述べてきたことですが、東京電力の原発事故が、いったい何を壊してしまったのか、まずはそこから出発しなければならない、ということです。回復不可能な、取り戻すことのできない、かけがえのないものを破壊してしまったということ。原発事故というのはそういうものであるということ。ここから出発しなければならないのに、聞こえてくるのは、賠償をはじめ、東電の赤字や経常収支、お金のことばかりです。
私たちはいったい何を壊してしまったのか。
それをどこまでも深く、いつまでも考え続けること。
そこから出発しなければなりません。