本当に久しぶりの投稿です。市民エネルギープロジェクトで多忙を極めていました。
このプロジェクトについての省察は、またおいおい投稿できればと思います。今回は、宇宙論からのお話し。
たまたま宇宙理論の話をテレビを観ていたら、「並行宇宙」や「暗黒物質」、「超弦理論」などの最先端の話に加え、コントロールできるエネルギーの種類と規模で「文明」を分類できるという興味深い話もでてきました。それによると、「文明」は、タイプⅠ(自分の惑星のエネルギーを気象等も含めすべてコントロール)、タイプⅡ(自分の惑星と恒星のエネルギーをコントロール+自分以外の惑星に一部植民地も建設)、タイプⅢ(自分が所属する銀河系のエネルギーすべてをコントロール)があるということになるそうです。もちろん、私たちの「文明」はタイプⅠにも届かず、「タイプ0」にとどまっています。私たちの「文明」がタイプⅡやⅢになるには、数兆年かかるかもしれません。とにかく話のスケールが巨大で、その点さすが宇宙理論です。
けれども、良く考えると、こういった「文明」観自体が古いパラダイムに依拠しているのではないか、とも思います。そもそも「自分の惑星のエネルギーをすべてコントロールする」「植民地をつくる」という発想自体が、モダニズムの範疇を出ない気がします。タイプⅡで登場する「太陽」の…エネルギーを拝借しつつ、タイプⅠの舞台である惑星の自然環境の中で、そのエネルギーもむしろ「受け身で」活用していくというパッシブな「文明」は、「文明」のタイプとしては進歩ではなく退化に当たるのでしょうか。
もし宇宙のどこかにきわめて長く持続し、高度に発達した「文明」があるとすれば、それはどんな「文明」でしょうか。自然科学者から見ると、それは宇宙のきわめて広範なエネルギーを支配する巨大文明ということになるのかもしれません。確かに、宇宙人が地球人の「文明」を見た時に、「まるでアリがアリ塚をつくっているように見える」、「アリに原子力をあげるから、女王アリに会わせてほしいと言わないように、宇宙人も私たちに無関心である」のかもしれません。けれども、違う考え方も可能です。何千万年、何兆年も続く「文明」がもし存在するとすれば、それは自己の限界を十分に理解し、宇宙と調和しながら生き続けることを選択した「文明」なのかもしれません。そう考えれば、スターウォーズのようなイケイケの「文明」像ではなく、逆に思いのほか地味な「文明」像が浮かび上がってくるかもしれません。つまり、「アリ塚をバカにするな」、ということです。
それにしても、50億年経てば、太陽も寿命がきて、地球も太陽に飲み込まれるかもしれません。太陽は超巨大な核廃棄物の塊となるのです。私たちは星屑から生まれて星屑に還る…。すべてには終わりがあるのだということです。
文明 タイプ0
2015年4月11日