日本中の大学が危機です。それはまず財政や定員充足といった、目に見えやすいものとして取りざたされますが、それよりももっと根源的な危機に大学は陥っていると思います。現在の大学の最大の危機は、大学が、行政や資本の下請けとなり果て、もはや新しい時代や社会を創り出す場ではなくなりつつあるということにあります。大学はもはや、大学である必要がなくなりつつあります。
この根源的な危機に対してなすべきことは何でしょうか。私は確信しています。
今、大学において必要なのは、他でもなく、「学びを回復する」ということです。
それは何か(就職など)への準備などではなく、また、資格を取るといった有形の報奨などではなく、人間として永遠に続く「学び」そものものの回復、「学び」そのものの学びに他なりません。学びの永遠の喜びと可能性を学ぶ場所として、現在の大学はまったくの機能不全に陥っています。
たとえば学生にとって必要なのは、学びの時間をゆっくり自ら味わうためのゆとりの時間なのです。必ず半期15回講義をすべし、学習時間を確保すべし、それによって学生の学力が向上するのだと考える、まさに思考力の欠如した文部科学省の方針はこの国の知的衰退の表れでもあります。またそれに唯々諾々と従う大学は、知の殿堂としてはもはや死に至る病におかされていると言わざるをえません。
教育学者も、政治学者も、そしてすべての大学人も、今、この大学の惨状について声を挙げなければ、知の全体主義化を押しとどめることはできないでしょう。少しずつ慣らされ、少しずつ無力化されるという意味では、私たち大学人もまた、いわば21世紀の強制収容所の住人なのです。