前の投稿がクリスマスイブですから、あれから半年以上が経ってしまいました。
4月からまた学部長になり、講演依頼もどんどん増えただけでなく、思いがけない選挙がありました。
2016年の参院選、県知事選、2017年の衆院選と、新潟県では市民と野党の共闘が「3連勝」だったのですが、今年の県知事選には惜敗しました。たとえ1票差であっても、選挙は勝たなければなりません。今回の敗北は、もし勝っていれば、安倍政権の存続を防いだでしょうし、政府の原発推進にもストップをかけられたと思うので、本当にこの国のゆくえを暗くしてしまいました。悔やんでも悔やみきれません。
しかしその一方で、敗北からは多くの「学び」がありました。これは勝ったときの比ではありません。
その一つ一つは、追々お伝えできると思いますが、今日は最大の「学び」についてです。
市民と野党の共闘が上手く行く条件について。ひとりの政治学者として、自分の経験から、あえて誰にも遠慮せずに率直に結論を言えば、「政党や政治家主導では、市民と野党の共闘が成功することはきわめて難しい」、ということです。それは、今回の選挙で特定の誰彼がどうこうというのではなく、既存の政党や政治家が本来持っている、ある<限界>についての問題に他なりません。政党組織や政治家は、良かれ悪しかれ「権力の最大化」という、何よりも優先する行動原理があります。そういったアクターが繰り広げる権力ゲームの中では、時に相矛盾する利益関係にあるアクター同士の広範な共闘関係の構築は概して困難となります。そしてまた何よりも、この既存の政治権力ゲームが支配的になれば、一般市民の「参加」の程度はますます限定されてしまうという問題が生じることになります。
これまで新潟において「市民と野党の共闘」が成功してきた背景には、他の地域と異なる一つの条件、つまり、市民勢力が候補者選定の段階から、終始選挙体制構築のイニシアチブをとってきた、という事実があるのではないか。まさにバッファーとしての「市民」が、相異なる野党同士を接着させてきたという事実にこそ、「野党共闘」の秘密があったのではないか、ということです。
残念ながら、さまざまな事情から、今回の県知事選挙では、市民勢力は政党政治の従属変数になってしまっていたように思います。私も恥ずかしながら、それが市民政治の「進化」だと思っていました。いつまでもアマチュアが出張るのではなく、政治のプロが、プロの本来の仕事を始めて、それをアマチュア(市民)がバックアップする形で良いのではないか、それが政治本来のあり方なのかもしれない、とさえ思っていました。しかし、それは「進化」ではなく、歴史の針を逆に戻すことだったのかもしれません。
いろいろと思うことあって、今月、「市民政治塾」を立ち上げることにしました。
詳細はまたお伝えできると思います。