福島第一原発の深刻な事故は、日本の敗戦と同様、多くの教訓を残すことになりました。
まず、重大な失敗や事故やは、科学技術や数学的な確率論(運)の問題なのではなく、すぐれてそれをもたらした人間の<思想>の問題であるということ。
敗戦を導いた、けっして勝てるはずもない戦争を最後までおし進めた「非合理的な」心の習慣と、「絶対起こるはずのない」重大事故についは終始一貫思考停止をしていた原発技術者たちの「合理的な」心の習慣とは、実は同じ心理的態度の裏と表であったということ。
いずれも、関係者に自律的/自立的思考の習慣(+真の勇気)が欠けていたということ。
さらに、分業と集団主義の中で、思想的・組織的な惰性が生じ、無責任の体系が生まれるメカニズムは、まったく同じであったということ(ムラの論理)。
そしてどちらも、秘密主義がデモクラシーを封殺していたということ。
今、原発事故を徹頭徹尾<思想>の問題として考える必要があると強く思います。
<思想>としての原発事故
2011年8月15日