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オモニの訴え

昨夜は、新潟の朝鮮学校の補助金停止措置に対する抗議のための市民集会が開かれました。
予想以上に多くの人たちが集まってくださいました。
下の写真は、朝鮮学校に子どもを通わせるお母さん(オモニ)が、現在の苦境を訴えている場面です。
他の学校よりもはるかに低い補助金や財政基盤の悪化によって、設備が老朽化し、劣悪な環境であるにもかかわらず、学費はきわめて高額。加えて、社会的なバッシングやいじめをうける日々で、子どもたちの心は傷ついています。

私は、「朝鮮学校を支援する新潟県民の会」の幹事を引き受けていますが、それは、新潟の社会にとっても、この小さな、もうすぐ消えてしまいそうな学校の存在が、きわめて重要であると思うからです。
自らのルーツに基づく教育を受ける権利は、世界的にも当然の普遍的な権利であるというのは言うまでもありませんが、それに加えて、日本における朝鮮学校の存在が、社会の多様性や寛容性、文化的な豊かさを維持するためにも必要不可欠であると思っています。朝鮮学校は、いわば私たち日本人の社会にとっても〈宝物〉だということです。
新潟県は、今回の措置はけっして政治的なものではなく、あくまで事務的なもので、事務的な問題が克服されれば補助金支給の復活もありうることを示唆しています。その点、他の都道府県(たとえば「県民の理解が得られない」という理由の神奈川県)よりもマシなのかもしれません。実際は政治的な理由であっても、いかなる場合でも特定の民族を政治的に差別してはならないという最低限の市民的常識と建前がまだ行政や社会の中に残っているということです。
しかし大都市を中心に、今の日本社会には、次第に排外主義や不寛容の空気が蔓延しつつあります。マスメディアもつねに「北朝鮮=核兵器=拉致=朝鮮学校」という平板なイメージをつくりあげます。その結果、むき出しの差別やヘイトズピーチなどが公共空間にもどんどんとまかり通るようになってきています。
ですから、大げさではなく、朝鮮学校の命運は、私たち社会全体の命運でもあるという風に思います。歴史が教えるように、少数者の声や存在を抹殺する社会は、やがて自分が多数派であると信じていた人々に対しても牙をむくようになるからです。

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