今日も娘は、家の近くにある神社の依頼で、地域のお祭りのために、舞を奉納します。
今日は大きなお祭りなのか、お昼から行って夜まで帰ってきません。
「お稚児さん」と呼んでいるのですが、もう中学生になったのに「お稚児さん」じゃないだろうと思います。ただ、少子化というか、地元で踊る人も少ないので、続けているようです。しかしそもそも人前で踊ったりするのが好きなので、本人は楽しそうです。
うちはクリスチャンでもなければ、家に仏壇も神棚もないのですが、まあ地元の神社を中心とした地域行事への参加という位置づけです。娘によれば、神社の関係者はみんな名前が「金子さん」なのだそうで、家の近くの神社も「平安朝の昔、椎根津彦命の後裔が越後国蒲原郡に封ぜられ、蒲原の津(港)に土着して、蒲原郷の総鎮守を創設し郊外の金鉢山に鎮座した」のが始まりだそうですから、ずいぶんと歴史があります。
このような比較的古い地域に住んでいると、日本人のコミュニティについて考えます。東北の被災地でも、何もなくなった所から人々が立ち上がる際に、お祭りや伝統行事が重要な役割を果たしているとききますが、「市民社会」などとはいっても、実際は日々の地道な活動や習慣の積み重ねが地域をつくっているのです。
娘は、どこからやってきたのかわからないけれども、古(いにしえ)の振り付けを「金子さん」から教えていただき、身体で歴史とつながっています。
私も末席をけがしていますが、日本の政治学者たちは、こういう次元の話をもっとちゃんと捉えるべきだと思っています。
「お稚児さん」
2013年4月29日