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驕(おご)れるものも久しからず。
20世紀の覇者、アメリカも凋落ぶりを隠せないようです。厳正な市場は、たとえ優れた大統領をいただいているとしても、USAを、もはやかつて様に扱うことがなくなりました。 そして「3・11」を経験した日本もまた、その根幹から滅びの予感を漂わせて... -
破壊の跡――宮城県東松島市野蒜地区
写真は、先週末訪れた、宮城県東松島市野蒜(のびる)地区です。 震災から5か月近く経っているにもかかわらず、町はまるでどこか別の惑星の廃墟のように、静まり返っていました。 一番下の写真は野蒜駅ですが、よく見ると、時計が2時48分で止まって... -
地に呪われたる者 2
フランツ・ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)より抜粋。 ● セク・トゥーレ大統領がきわめて的確に指摘したのは、このことである。「思考の領域において、人間は己こそ世界の頭脳であると自負することもできる。だが、いっさいの(外部か... -
ミナマタとフクシマ
ミナマタとフクシマには、多くの共通点があります。 特にその事件発生から事態の悪化、隠ぺい、被害者の分断、差別というプロセスは、酷似しています。 また、近代文明と経済成長を優先させた国策(官僚制)の結果という意味でも共通しています。 発... -
「3.11」以後の堕落論
坂口安吾の「堕落論」を再読しました。 大学に入学し、1年生の最初の政治学のゼミで読んだのが、確かこの「堕落論」です。 その時は、まさかその後、彼の故郷の新潟へ移り住み、それから約25年後にこれを再読することになるとは思ってもいませんでし... -
見過ごしてきたこと/隠されてきたこと
ものごとを考える際に、起点となるような事実や経験があるものです。 その起点を見失ってしまうと、思考が浮ついたものになってしまいます。 たとえば、日本の「戦後」を考える時に、先の<戦争>そのものの事実や経験から出発しなければ、当の「戦... -
10万年後の安全
映画『10万年後の安全』(Into Eternity)、ようやく観ることができました。 少し演出が濃すぎて、それがちょっと邪魔な気がしましたが、素材自体が巨大な力をもっているため、これまでにないドキュメンタリー映画の新境地を切り開いた作品だと感じ... -
「フクシマ問題」ではない。
沖縄の基地問題を、「沖縄問題」という言い方をすることがありますが、それは決して「沖縄の問題」なのではなく、何よりも本土の日本政府の問題なのであり、また日米関係やアメリカの世界戦略の問題に他なりません。 同様に、「3.11」を、最近あたか... -
「第2のフクシマ」という想定について
「夏の電力が足りない!」といって、目下、足りないキャンペーンが展開されています。 それで、原発を再稼働させたいということです。 今日、佐賀県の知事が、国が責任をもつなら、という条件で、玄海原発の安全性には問題がないと公言しました。そ... -
地に呪われたる者
今、「フクシマ」を念頭に置きながら、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』を再読しています。 「地に呪われたる者」という日本語がの響きが、今のフクシマと共鳴するようです。 これはもちろん、ヨーロッパの植民地主義から、いかにアフリカ...