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コミュニティを奪われた人々――アチェ訪問から考える ③

スマトラ島沖地震によってアチェに津波が襲ったのは、2004年12月。ですから、もう10年が経とうとしています。アチェ州では約20万人が死亡または行方不明になったということで、被害者数という点で見てもその惨事の規模がわかります。
悲惨な経験をどう乗り越えるか、というのは文化や地域によっても対応が異なると思いますが、アチェの場合、人々は思いの他たくましく克服しているようにも見えました。下の写真は、津波によって内陸まで流された大きな船を残し、いわば観光スポットとして再利用している例です。看板には、「ウェルカム」と書かれていて、どことなく明るい感じです。2枚目の写真のように、周辺にはお土産屋さんもたくさんあり、被害当時の映像DVDも売っていました。木の向こうには、船とその煙突が見えます。


次に、津波博物館。国際援助によってつくられたそうです。あまりの立派さに、驚きました。2枚目の写真のように宗教的な慰霊のための空間もあり、建築としては先端を走る印象を受けました。けれども、災害の経験を後世に伝えることがいかに困難なことであるのかも痛感しました。ミニチュア模型などで当時の津波の大きさや被害を再現していましたが、むしろそれが被害のリアリティを削いでいるようにも感じました。アチェの歴史の概略なども展示されているのはよかったです(最後の写真)。




被災から10年のアチェで考えました。東日本大震災から丸3年が経ちましたが、日本ではあと7年後、どのような経験として「3・11」は記憶されるのでしょうか。一部の若い「文化人」たちが提案するように、東北は観光地として再生するのでしょうか。あるいは、アチェの津波博物館のような巨大な記念館が建つのでしょうか。あるいは、ついに撤去されたあの気仙沼の船のように、当時の痕跡は極力すべてが取り払われるのでしょうか。
どれも違う気がするのです。
 

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