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「西田幾多郎・京都学派」談義

 今日はセンター入試も終わり、ほっとしながら息子とテレビを観ていました。受験生の彼も今日は模試があったようで、しばしの息抜きです。
観たのはNHK教育の「日本人は何を考えてきたのか」というシリーズものの番組で、けっこう欠かさず観てきましたが、今日は西田幾多郎と京都学派でした。
西田の思想を当時の時代背景や研究者のコメントと共にふりかえるのですが、とてもわかりやすく、中学生の息子も真剣に観ていました。
ふと、西田の「純粋経験」という概念について、息子が「これは釣りの時に魚がかかった瞬間の竿の先と同じような経験だな」というので、まあその通りかな、と感心していると、「でも、西田の考えって、別に真新しいものではなくて、それまでの日本にずっとあったものだよね。ただそれに新しい洋服を着せただけで。ぼくが知りたいのはむしろ江戸までの日本社会があと何百年動揺せずに続いたら、西洋のようなデモクラシーや近代が日本に生まれたのかということだな」…「それに「矛盾的自己同一」とか言うけど、日本の武道なんかは、自分の体勢を崩し続けることで平衡を取るという考えで、そういうことは昔からあったんだ」、とのこと。ううん…。
西田の思想が、結局は西欧近代との衝突と対抗の中で生まれたことに初めから限界があったのだということかもしれませんが、それも面白い指摘です。
その後、西田の弟子の三木清たちが昭和研究会で「東亜共同体論」などを唱え、西田本人もまた次第に体制翼賛に利用されていった経緯などが紹介されたのですが、そのことについては、「概念をぐっと現実化しようとしたのはいいけど、抽象的なままでいるほうが価値がある場合もあるよね」とのこと。まったく、何も知らないくせに生意気なコメントばかりですが、子どもであるがゆえの鋭さもあり、今日もまた息子から学んだ次第です。

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